【ゴジラに魂吹き込む】元俳優・中島春雄さん(02) パイロットの夢かなわず終戦…東宝入社、黒澤映画でちょい役

1929年1月1日、山形県酒田市に生まれる。姉2人・兄2人の末っ子。飛行機が大好きで、パイロットにあこがれ海軍に入る。戦後、進駐軍の仕事を経て俳優学校に。俳優を一生の仕事とするつもりはなかった。

父は明治から続く精肉店をやっていました。店は今も続いています。子どもの頃、何回も手を切りながら手伝いをしていました。暴れん坊でした。チャンバラが好きで、映画館に行くと怒られたけどこっそり嵐寛寿郎の鞍馬天狗を見てました。小学校とは別に海洋少年団にも入っていました。手旗信号を習ったことは海軍でだいぶ助かりました。14歳で横須賀海軍航空技術廠に入りました。養成所を経て、配属されたのが発着機部。このままだと飛行機に乗れません。どうしても操縦したかったので予科練の試験を受けて、姫路海軍航空隊に行きましたが、ほどなく終戦です。ついに飛行機には乗れませんでした。戦争に勝てるとは思っていませんでしたが、それでもがっかりして故郷に戻りました。




酒田では退職金でダンスしたり、市役所や土木関係の運転手をしたりしていたら進駐軍関係の話が来ました。最初、青森県三沢市で、次は横浜市の大桟橋。トラックで荷物を運ぶ仕事で、1ヵ月くらいやったとき、試しにギアをハイトップに入れたらすごいスピードが出たんです。気持ちいいからずっと走っていたら、MPにスピード違反で捕まりました。進駐軍から「ユー、クビ」って日本語で言われました。新聞を見ても職安に行っても仕事の募集はありません。募集で目に付いたのが映画俳優。映画は嫌いじゃないし、面白そうだから、ひとつ遊んでみようかぐらいの軽い気持ちで俳優学校に入りました。生徒は200人くらい。アナウンサー志望の丹波哲郎君がいました。1年勉強して1950年に東宝に入社したのは4人です。その一人、広瀬正一君は12年後に映画『キングコング対ゴジラ』でキングコングになって僕と戦いました。立ち回りはプロレスも参考にしました。

立ち回りの授業で黒澤明監督の『野良犬』を見学しました。そしたら初対面の黒澤さんが僕の顔を見て「おまえ俳優学校の生徒か? いいから出ろ」って。東宝がストライキのため、東京・練馬の東映大泉撮影所を借りて作ったオープンセットで、二晩かけてけんかの演技を撮影しました。でも完成試写を見たら自分はどこにも映ってない。みんなカットです。ギャラをもらった記憶もありません。東宝に入ってエキストラはいっぱいやりました。黒澤さんの『七人の侍』に切られる斥候役で出ています。この頃はちょい役ばかりです。1954年の夏、休憩中、将棋を指していたら演技課長に呼ばれ、配役が書いていない台本を渡されました。表紙に題名もなく、ただ“G作品”とあるだけでした。


キャプチャ  2014年11月5日付夕刊掲載


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