安保法制の強行採決も祖父のやり方を踏襲?――安倍首相に告ぐ! 君は敬愛する岸信介には到底及ばない!

7月9日の講演会で、「私の祖父は『50年経てば(安保改定が)必ず理解される』と言っていたが、25~30年で支持は多数となった」と語った安倍首相。“祖父”とは勿論、岸信介元首相のことだ。安倍首相が事ある毎に名前を出す岸信介――“昭和の妖怪”と呼ばれた男の真実に迫る!

Nobusuke Kishi 08
「安保反対!」――1960年6月、東京都渋谷区の岸信介邸には、『日米安保条約』改定に反対するデモ隊が連日押し寄せていた。当時、岸邸を訪れていた元衆議院議員の笹川尭氏が、その凄まじさを語る。「岸さんの家の前の道路が、畑のようにボコボコになっていました。大勢のデモ隊が何度も足踏みした跡ですよ」。岸邸の中では、5歳の安倍晋三がデモ隊を真似て「アンポハンターイ!」と叫んでいた。安倍自らが語る政治の原体験である。安保法制を強行採決した安倍首相の姿は、安保改定を強行採決した岸信介に重なって見える。安倍首相は、祖父から何を継承したのか?

1920年、東京帝国大学を出た岸が選んだのは農商務省。作家の猪瀬直樹氏が語る。「岸は晩年のインタビューで、『政治の実体は経済にある』と答えています。戦前の日本は、軍事力では“5大強国”と自負していたが、経済力では欧米に及ばず、総力戦ができる実態が無かった。岸の予見は正しかったのです」。岸がモデルとしたのが、ドイツやソ連の社会主義的な統制経済だった。「アメリカを視察した岸は、至るところに山のように古自動車が捨てられているのを見て、『とても敵わない』と思ったのです。その後にドイツへ行くと、無駄を省いて合理的にやっている。日本と同じように資源が無いドイツは、技術と知恵で経済発展を図ろうとしていた。岸は、『日本の行く道はこれだ』と確信したのです。その後、ソ連の第1次5ヵ年計画の影響も受けています」(猪瀬氏)。帰国後、商工省内に『臨時産業合理局』が設けられた。トヨタ・日産に自動車製造許可を与え、戦後の自動車王国の基礎を作ったのも岸だった。満州事変が勃発すると、『満州産業開発5ヵ年計画』が作られた。1936年、貴誌は満州国の産業部次長となる。肩書きは次長だが、実験は岸が握っていた。『満州裏史』等の著書で知られる東海大学名誉教授の太田尚樹氏が語る。「岸の実績の中でも一番光っているのが、松花江に築いた豊満ダムです。東洋一の規模を誇ったこのダムは、岸が満州に渡る5年前から青写真を作り、皇帝の溥儀から表彰された。満州では、当時の世界最高速列車“あじあ号”の陣頭指揮を執った。その技術は、後の東海道新幹線に引き継がれます」。岸が満州にいたのは3年余りだったが、帰国する時にこう回想している。「巧拙はあるにしても、満州は私の描いた作品である」




Nobusuke Kishi 07
岸の功績はそれだけではない。「時代が日米戦争へ傾いていくに従い、“社会主義体制”が完成していくのです。最低賃金制度・国民皆保険制度が準備され、終身雇用・年功序列の賃金体系が作られていく。給与には源泉徴収制度が導入され、年金制度も整備された。企業は合併を重ね、業界団体が作られ、営団・公社・公団等も生まれた。税金は直接税が中心となり、その財源を中央に集中させ、補助金として地方にばら撒く仕組みが確立する。こうした体制は戦後も続き、高度成長に繋がっていったのです」(猪瀬氏)。東條内閣の閣僚だった岸は戦後、GHQからA級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨拘置所に拘留された。「巣鴨では元気が無かった。そりゃそうだ。大臣だったのが、背中に“プリズナー(被告人)”と書かれた囚人服を着せられたんだから」(笹川氏)。巣鴨に3年3ヵ月拘留された後、不起訴のまま無罪放免されると、政界に復帰。1955年には自民党の結党に貢献し、1957年に総理大臣に指名された。首相に上り詰めた岸にとって最大の問題が、1960年の安保改定だった。「1951年のサンフランシスコ講和で結ばれた旧安保条約は、アメリカが日本を防衛する義務は無く、しかも勝手に基地を造ることができる不平等なものでした。これを対等に近いものにする為、岸は安保条約改定に向け努力するのです。しかし、多くの国民にはその意味がわからず、デモ隊が押し寄せた」(外交評論家の加瀬英明氏)。世論の大反対は収まらず、新安保条約が成立すると岸は退陣。続く池田勇人内閣は『所得倍増計画』を打ち上げ、“黄金の1960年代”が始まった。だが、実は所得倍増論の基になったのが岸の『生産力倍増10ヵ年計画』だった。「辞任しなければ、岸さんが所得倍増計画をやっていたでしょう。岸さんは経済通という自負があった。『吉田の爺さん(吉田茂元首相)は外交の専門家で、経済はわかっちゃいない』が口癖でした。岸さんが満州で試し、日本に導入した政策が、戦後の日本を繁栄に導いたんです。岸さんは“昭和の妖怪”と言われますが、地に足がついているんだから“妖怪”じゃなくて“怪物”ですよ」(太田氏)

では、安倍首相は“怪物”の岸信介にどこまで近づけるのか? 「安倍首相も『経済が政治の実体である』ということはわかっていますが、アベノミクスは今のところ日銀の金融緩和が中心で、株価に頼るだけ。高度成長期は人口が急増する“労働力ボーナス”がありましたが、今は少子高齢化で経済成長は難しい。これからは利益を皆に分配するのではなく、不利益をどう分配するかが課題になる。安倍さんがその覚悟を持てるかどうかがカギです」(猪瀬氏)。「安倍と岸は似て非なるもの」と言うのは、政治ジャーナリストの野上忠興氏。「安倍は“岸たらん”としているが、安倍と岸には大きな違いがある。例えば政治手法。岸は“両岸”と呼ばれたように、政治的に対立する勢力の両方に人脈を作って、バランスとコンセンサスを重視する老練さがあった。外交面でも安保改定で日米同盟を強固にする一方、“アジア重視”を掲げ、東南アジア諸国と国交回復している。首相退陣後も訪韓して、日韓国交正常化の根回しをした。でも安倍は、外交では中国・韓国と徒に敵対し、内政でも数を背景に一直線に事を進めようとする。老練な岸とは正反対で、底が浅く、危うさばかりが目立ちます」。安倍首相は格下過ぎて、到底、岸には及ばないのだ。


キャプチャ  2015年8月11日号掲載


スポンサーサイト

テーマ : 安倍晋三
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR