【日曜に想う】 開催地に巣くう“五輪症候群”

2020年東京オリンピックの次にあたる2024年夏の開催地として有力視されていたボストンを訪ねた。唐突に招致レースから降りたと聞いたからだ。市が招致を断念したのは7月末。撤退会見で市長は言い捨てた。「ツイッターで反対の太鼓を鳴らした10人にしてやられた」。その10人の中心にいた元公務員のクリス・デンプシー氏に会った。地元では“オリンピック阻止男”と呼ばれる。「10人だけ、ツイッターだけで止めた訳じゃありません。何百人もが動いてくれた。僕は新聞とテレビに出て、公聴会で陳述しただけです」。ハーバード大学院修了の32歳。政治的野心ギラギラ系を想像していたので、謙虚な語り口が意外だった。この1年、デンプシー氏が市民に訴えたのは五輪費用の怖さだ。「費用は際限なく増える。充てられるのは貴方の税金。それでも賛成しますか?」。18世紀、ボストン茶会の昔から税には敏感な街である。訴えは響いた。デンプシー氏に依ると、今の仕組みでは開催地の立場が弱過ぎる。国際オリンピック委員会に嫌われぬよう、各都市が低予算ぶりを競いつつ、同時に「超過分は全額地元が負担」と誓約させられる。「一旦開催が決まると、見えや焦りで費用は歯止めなく膨らむ。後で泣くのは納税者です」。言われて東京五輪の招致ファイルを見てみると、確かに「超過費用は都と国とでカバーする」という条項がある。日本の納税者は大丈夫なのか? 「大丈夫じゃありません。東京の新国立競技場の建築費が納税者の知らぬ間に膨らんだ。オリンピック特有の症状です」

デンプシー氏に勧められて、オリンピックの収支に詳しい学者に意見を求めた。イギリスのサウサンプトン大学のウィル・ジェニングス教授(37)。『五輪のリスク』という著書がある。「新国立の件はイギリスでも大々的に報じられた。3年前のロンドンオリンピックで、同じザハ・ハディドさんが設計した水泳施設の工費が膨らんで大騒動になったばかり。残念ですが、東京も過去のオリンピックと同じ轍を踏みつつあります」。教授に依ると、近年の開催費用は招致段階の平均3倍に膨らんでいる。最も深刻だったのはカナダのモントリオールオリンピック(1976年)で、実に13倍に達した。祭典ムードに流され、突貫工事や警備に費用が嵩んだ。閉幕後に市と州の財政は傾き、増税に踏み切る。完済したのは市が大会の20年後、州に至っては30年後の2006年冬だった。同じカナダのバンクーバーは別の痛い目に遭った。2010年冬季オリンピックで、地元の建設会社が「栄えある五輪故、無償で」と大見えを切って選手村を建てた。だが、閉幕後に敢え無く倒産。とばっちりで市民の税負担が増えた。五輪を控えた日本の納税者としては、どちらも背筋が冷たくなる話だ。聞きながら私の胸を過ったのは、新国立を巡る騒ぎの最中、森喜朗元首相が漏らした2つの本音である。

①「国がたった2500億円も出せなかったのかね」→お祭り気分で財政規律を失ったモントリオールへの道
②「国家的プロジェクトだからゼネコンには無償でやってほしい」→業者倒産を読み損ねたバンクーバーへの道





今回初めて知ったのだが、費用高騰は第1回近代オリンピックの1896年アテネ大会も紛糾させていた。主会場の工費が2倍に増え、猛批判を呼んだ。どうやら、オリンピックというものは古今東西、開催地の政財界に同じ病害を齎すものらしい。“折角だから派手に盛大に”症候群、そして“後は野となれ山となれ”症候群である。本番は5年も先だというのに、私たちは早くも新国立で60億円を失った。エンブレムでも億単位の損失が懸念される。この先も、何やかや嵐が来そうな悪い予感がする。大会マスコットとかテーマ曲とか開会式の演出とか…。納税者としては今から不安でなりません。 (特別編集委員 山中季広)


≡朝日新聞 2015年9月6日付掲載≡


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