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声・特集版…朝日新聞に読者のみなさまから

慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言に基づく関連記事に加え、5月20日に報じた東京電力福島第一原発事故の『聴取結果書』(吉田調書)についての記事の取り消し。さらに、ジャーナリスト池上彰さんの連載コラムの見合わせ。朝日新聞の一連の問題に対し、『声』に寄せられた投稿は1000通を超えています。多くは厳しい批判です。きょうは『声』特集版で、みなさまの意見を紹介します。(『声』編集長 小森保良)






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■信頼回復へ、血のにじむ努力を  国家公務員 佐佐木賢二(埼玉県 50)
2年以上前の任天堂社長の記事は、実際にインタビューをせず、同社ホームページの動画の発言内容をまとめたものだったという“おわび”を読んだ。慰安婦問題や東京電力福島第一原発事故をめぐる誤報、池上彰氏のコラム掲載見合わせと続いた不祥事に、追い打ちをかける“おわび”。あまりの情けなさに購読中止を決意し、販売所に電話した。販売所にも相当数の苦情が寄せられているそうだ。本社・記者・労働組合などが本気で改革に進む姿勢だという説明を受けた。独立経営の販売所にとって、購読中止は相当な打撃になるそうだ。とりあえず、購読を継続することにした。

嵐や雪の日も毎朝毎夕、新聞を配達する人たちが新聞を支えている。朝日新聞は私たち読者だけでなく、その人たちも裏切り、大打撃を与えてしまったことを肝に銘じてほしい。読者は一連の不祥事で全くすっきりせず、安心できない。信頼を取り戻すには血のにじむような努力が必要だということを、数々の企業不祥事を報道し、追及してきた朝日新聞ならよく分かっているはずだ。読者は全く納得していない。

■読者の気持ちを読めていない  英語塾経営 西河豊司(京都府 77)
40年ほど前、職場の人たちの影響で朝日新聞の購読を始めましたが、今回、やめることにしました。友人に朝日新聞をひどく批判し、中国や韓国・北朝鮮のことをよく言わない者がいます。私はいつも辟易していましたが、真実を守ってくれている新聞だと思っていました。しかし、今回の誤報が各方面から指摘され、謝罪記事を出さざるを得なくなった経緯を知り、友人の方が正しかったのではないかと思うようになりました。特に謝罪記事は読むにつれ、嫌悪感が増すばかりです。ちらちら言い訳が入っていると感じられるからです。結局、読者のささやかな気持ちが読み取れない新聞社だと感じ、断腸の思いで長年の購読を断ることにしました。どうして断腸の思いかというと、これまで楽しい記事がたくさんあり、私をそれなりに成長させてくれたからです。いったん離れた読者を元に戻すのは大変なことですよ。

■“スクープありき”ではなかったか  会社員 加藤也寸司(東京都 44)
いわゆる『吉田調書』をめぐる誤報の謝罪記事に関して私の思いを述べたい。1つ目は、朝日新聞の“スクープありき”の姿勢だ。スクープは結果であり、意識が逆転していたのだと思う。これは朝日が嫌う“戦争”が起きた構造と同じではないか。軍部の暴走が戦争を招いたとされるが、同じ過ちが朝日にも起きてはいないだろうか。2つ目は、謝罪が遅きに失したことだ。批判の高まりで避けられなかったのだろう。ただ「罪を憎んで人を憎まず」というには影響が大きすぎる問題だが、潔く謝罪したことは評価したい。かつての“大本営発表”の時代とは違う。報道を受ける側も自分で情報を判断できる。その意味では、送り手のメディアにとっても受け手にとっても、ジャーナリズムの健全な発展に向けて考えるいい機会になったのではないか。3つ目は、今回の件を報じた他社や政治家の姿勢だ。ここぞとばかりの感情的な批判もあったが、批判する側にも自己責任がある。その姿勢や内容も、読者に信頼されるものであってほしい。

■活字への信頼を裏切られた  写真家 宮誠而(石川県 65)
「朝日よ、お前もか」。社長の謝罪会見を報じた12日の朝刊を見て、衝撃を受けた。“活字が信頼を失った日”を目の当たりにしたのだ。慰安婦報道に始まり、その批判コラムの掲載見合わせ、『吉田調書』記事の取り消し。学生時代から40数年間も読み続け、信頼してきただけに、実にショックな朝だった。インターネットは便利な道具である。始めて10数年になる。何でも知り得る時代になった気がするが、一方で“うそ”の多さに辟易してきた。それに比べて新聞の活字は、それなりの学識のある人々が検証し、信頼性があるものだと信じてきた。それが裏切られたのだ。一体、何を信じたらよいのだろう。時代は進歩しているのではなく、限りなく後退しているのではないか。そんな空しさを感じる。活字の信頼を再び取り戻せる日は来るのだろうか。100年後、この日が歴史に記されることのないよう、切に願う。

■市民の声もっと謙虚に聴いて  主婦 松田妙子(愛知県 63)
高校時代、新聞部だった。「高校生が知りたいことや学校生活の問題点を書きたい」と張り切っていた。高校生でもそうだったのだ。朝日新聞の大失敗を見るにつけ、現場の記者たちの悔しい気持ちは想像できる。私も本当に腹が立って、池上彰氏のコラム掲載見合わせで「猛省を」という意見を朝日新聞のホームページに投稿した。原点に戻り、メディアの役割と責任を考えてもらうしかない。ただ、朝日新聞の自浄力だけに任せるのではなく、もっと構造的に改革できることはないだろうか。市民目線を採り入れてチェックする方法を模索してほしい。第三者委員会の検証や有識者の紙面審議会だけでは不十分だ。きな臭い時代の足音が聞こえる今、権力批判はとても重要だ。大いにやってほしい。そのためにも「クレームこそ社の宝」という姿勢で、朝日新聞の幹部が読者からのすべての意見に目を通し、謙虚に、真摯に、街の声を聴いてほしい。

■一日も早い名誉挽回、待っている  保育園職員 日高利夫(宮崎県 65)
朝起きてまず朝日新聞を読む習慣は、50年以上になる。他紙の勧誘員は「朝日の人はなかなか乗り換えない」とあっさりと帰る。多くの読者も同じなんだと、うれしくなる。だが、最近は慰安婦報道や池上彰さんコラムの掲載見合わせなど、「どうしたの?」という思いの連続だ。毎日のような謝罪やおわびにがっかりし、目を通す気力が失せる。一連の不祥事は“真実の偽装”と言わざるを得ない。食品産地や賞味期限の偽装など、期待を裏切る行為が多くある。それを批判し、不正をただし、正義を求めるのが新聞の役割のはずなのに。新聞は個人の考え方にまで影響を与える。朝日にこだわってきたのは何だったのかと自問自答している。いまは小さい声で「まだ朝日をとっています」と言うしかない。一日も早い名誉挽回と信頼回復を心待ちにしている。

■先入観を排して取材にあたれ  大学生 西岡尚人(神奈川県 21)
朝日新聞の謝罪会見が開かれた11日、私は別の報道機関で記者職を体験するインターンシップに参加していた。気になる場所に行って記事を書く課題があり、行きつけのバーに取材に行った。店のオーナーは普段から親しいので、かなり知っているつもりだった。だが、取材をしてみると、オーナーの人生や店への思いなど、初めて知ることが多かった。取材する喜びを肌で感じた。朝日新聞の報道姿勢は、巨大権力の監視のために、社会に必要なものだ。しかし、一連の誤報に関しては「結論ありき」の取材ではなかったか。自分たちに都合がいいように取材したとしたら、本末転倒だろう。いま朝日新聞に本当に必要なのは、先入観を排して相手のことをしっかり知ろうとする姿勢だ。そして、記者が取材する喜びを実感し、取材の原点に立ち返ることではないだろうか。

■父が好んだ朝日だから悲しい  高校生 森田翔子(静岡県 15)
小学生のころ、授業で使うために新聞を持って行くと、先生から「朝日新聞なの? すごいね」と褒められた。なぜ褒められたのか分からなかった。理由を聞こうにも父は私が5歳の時に心臓発作で亡くなったため、聞くことができない。ただ、分かるのは父は生前、無類の新聞好きで、その父が好んで朝日新聞を読んでいたということだけだ。朝日新聞は私の小さな自慢になった。毎朝、「お父さん、新聞」と言って仏壇まで持っていくことが、いまも日課だ。旅行先では必ず朝日新聞を頼む。父がそばにいると感じられるから。その朝日新聞が誤報で非難されている姿を見ると、悲しく、悔しくなる。我が家の新聞は読むためだけでなく、家族の存在を感じさせるものだ。「すごいね」と褒められたあの日のようになるまで、父と一緒に朝日新聞を応援し続けたい。


キャプチャ  2014年9月18日付掲載
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