【中外時評】 シンプル五輪でいこう――昭和の夢から覚めるとき

食の屋台が並ぶ町といえば福岡市が有名だが、嘗ては名古屋市も全国に名を馳せていた。中心部の広小路通に犇めく店は、実に350軒にも上ったという。この異観はしかし、1964年の東京オリンピックを境に消えていく。日本中で町の美化が叫ばれたのである。「屋台は不衛生だ」「交通の邪魔だ」「外国人に見せられない」――そんな空気の中で、多くの店が追い払われていった。“オリンピック”を持ち出せば、相当な無理押しもできた時代の現象だ。地方でさえこんな具合だったのだから、東京大改造の熱狂とスピードは推して知るべしである。都心には突貫工事で夥しい数のビルが建った。競技場ができた。新幹線が開通した。銀座の水路も全て高速道路で埋まった。各地から雪崩れ込む人々が必死でそれを支えた。江戸時代からの地名も、片っ端から“効率的”な住居表示に変わった。作家の小林信彦氏が“町殺し”と名づけたオリンピックの狂騒に、誰もが巻き込まれた日々である。良くも悪くも、1964年オリンピックは戦後の日本人の心性を決定づけることになった。

それから半世紀。2020年の新たな東京オリンピック・パラリンピックまで5年を切ったのだが、周知の通り、その段取りには明らかな綻びが見えている。一体何故だろう。あの“オリンピックの印籠”はどうしたというのか――。「確かに巨額だけど、まさかここまで事業費に批判が集まるとは…」。新国立競技場の建設計画が問題になりつつあったころ、文部科学省のある幹部は世の反発がどうにも腑に落ちない様子だった。「兎に角、オリンピックだからカネはかかるんだ」。しかし、そういう旧来の常識が全く通用しなくなっていることを、競技場計画に対する国民的嫌悪感の広がりは如実に示したのだった。「オリンピックだから、2500億円くらい仕方がない」とは誰も考えなかった。「偉い人たちが決めたのだから仕方ない」とも割り切らなかった。あの1964年オリンピックの頃とは日本人の意識は大きく変わったのだ。そして、多くの国民が抱く心情は「オリンピックをやるなら無理をせずシンプルに」「将来の負担にならぬように」というものだろう。計画が白紙撤回に追い込まれたのは、そうしたメンタリティーの転換を象徴する歴史的出来事である。




同じく白紙撤回が決まった公式エンブレムのデザインについても、同じことが言える。問題が日に日に深刻化しているのに、「専門家が選んだのだから」と受け流し、批判に耳を傾けない組織委員会等の態度に社会の怒りが沸騰した。デザイン自体よりも、誰もがそこに欺瞞を見たのではないか。2つの“白紙”騒ぎを経て、流石にオリンピックの準備体制そのものも刷新されるのかと言えば、期待薄のようだ。文科省・日本スポーツ振興センター(JSC)・組織委員会…。どこも相変わらず権威主義的で閉鎖的である。これだけの不祥事を連発しておいて、誰もはっきりとした責任を取らない。五輪の印籠はとっくに威光を失っているのに、当事者だけはそれに縋っている。国民の意識とはかけ離れて、昭和感覚が染みついた人たちだ。それにしてもこのままでは、同じような問題がまた起きるに違いない。今こそ往年の成功体験の夢から覚めて、うんとシンプルなオリンピックへと舵を切れないか。新国立競技場だけではなく、東京都も各種競技施設の大幅な予算オーバーに苦しんでいる。新国立は建設を見送り、駒沢競技場等の既存施設を改修して活用する。開閉会式はスタジアム以外での、新たな形も検討する――。先に自民党の行政改革推進本部等が纏めた提言だ。大胆だが、これくらいの発想の転換があっていい。全く新しい五輪を、世界に示す格好の機会ではないか。仰々しいハコモノを造るより、リノベーションで古いものに新たな価値を持たせるほうがずっとクールだというのが、成熟国家の道でもある。

そう言えば最近、かの名古屋市の屋台を復活させる構想を河村たかし市長が唱えたが、実現は難しいという。それはそうだろう。一旦根こそぎ破壊した文化は、簡単には甦らない。後悔先に立たず。「さあ五輪だ五輪だ」と、神宮外苑の旧国立競技場を後先考えず取り壊した浅慮にも恨めしさが募る。けれど、悔やんでばかりはいられないから、虚飾を捨てたオリンピックの形を本気で考えるしかあるまい。今からでも遅くはない。 (論説副委員長 大島三緒)


≡日本経済新聞 2015年9月13日付掲載≡


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