「わたしを撮ってください」…自分を見失った女性たち――写真に撮られることで自身を確認する若き女性たちが心の奥底に抱えるものとは何か?

「自分が何者だかわからない」という女性たちによく出会うようになった。彼女たちは、「よくわからないから、写真に撮って確認したい」「他人の目には自分がどう映っているのか、客観的に観てみたい」と言う。中には、「本当は写真に撮られるのは好きじゃないけど」と話す女性も意外と多い。私はこの10数年間、WEBサイトで被写体となる女性を募集し、写真を撮ってきた。私の撮影は、話を聞くところから始める。写真は被写体にとっても“表現手段”だから、写真を通して語りたいことがあるだろうし、日常生活で抑圧されている何かがあるから、表現衝動が起きるのだろうと思う。そうした動機を質問しながら引き出していくことが、撮影をする上で必要な過程となる。昨年11月、私はドキュメンタリー番組『NONFIX』(フジテレビ)の『私を見て かぐや姫の帰る場所』に出演し、被写体の女性4人との出会いから撮影までを追ってもらった。以降、被写体希望者は、月2人ほどだったのが2~3倍に増え、現在は片っ端から会って話を聞く日々が続いている。その彼女たちから、「自分がよくわからない」という台詞をよく聞くのだ。それは一時期流行った、自分のやりたいことがわからず、“自分探し”をする若者とは違う。“私”が“私”として存在することの意識の問題だ。そこに不安があると、どうも生きていくことが困難であるらしいことがわかる。彼女たちは何故、自分がわからなくなってしまったのか――。

大学で写真を学ぶつかさ(22歳)とは、私がゼミのゲスト講師に呼ばれたことがきっかけで知り合った。学校でのつかさは積極的に前へ出るタイプで、15人ほどいる生徒の中でも、明るく印象に残る生徒だった。けれど後日、その明るさは全てフェイクなのだと打ち明けられる。「表向きはワーッとふざけたり明るくして、正常な人ぶってるんですけど、家に帰ると塞ぎ込んでるんですよね」。つかさは明るくも暗くもない表情で、喫茶店のサンドイッチを1口摘むと、自分について話し始めた。「友達の前で『このパフェ美味しい』とか『今度食べに行こうよ』とか、『これ好き』『これ好き』みたいなことずっと言っているんですよ。ちっともそう思ってないのに。本当は、食べることは全然楽しくない。言った後に、『何であんなこと言ったんだろう? 本当に美味しいと思ったのかな?』とか疑問が出てくる。自分のことが私は一番信じられないんですね」。人前では明るい性格になり、咄嗟に心にも無いことを口に出してしまう――そうした自分の行動に困り果てているようだった。つかさの一家は、ある新興宗教の熱心な信者だ。特に、母親と祖母は積極的に布教活動を行い、娘のつかさも生まれて直ぐに入信させられている。「一緒にいると凄いんですよ。全然知らない人にもガンガン広めようとするし、本当に見境ない感じで。普段、話してる時は普通の親なんですけど、宗教の話になると人が変わるっていうか。だから、表向きは家族仲もいいんですけど、内心は信用していない」。教団内でも上の地位にいる母親は常に忙しく、集会の準備で走り回っている。母親の影響で、結婚して直ぐに入信した父親は、積極的ではないものの、言われるがままに支持しているという。「小さい頃からちょっとでも愚痴を言うと、『お題目あげないと駄目よ』みたいに言われて終わりなんです。一緒に考えるとかじゃなくて、『今年やってないから駄目なのよ』みたいな。写真のコンペに落ちた時も『お題目あげないからよ』って言われて、何を言ってもそういう話になっちゃうんです」




両親が、宗教以外の話で楽しく会話をしている姿は見たことがない。家族は宗教を軸に回っていて、つかさは1人疎外感を感していた。中学生の頃には学校を休みがちになり、リストカットをしたことが原因でカウンセリングに通い始めている。「高校に入ってからは自傷行為が酷くなって、腕を切ったりトンカチで叩いたり、精神科で貰った薬を30錠とか飲んでへロへロになってたんですよ。親にばれた時に怒られるかなと思ったらそうでもなくて。『お題目あげないから駄目なんだ』って、結局そうなるんです。私にあんまり関心が無いのかなって思いました」。只管、宗教を盲信する母親を見て、つかさは絶望していた。考えたり、悩んだり、改善したりすることを、まるで否定されたかのような気持ちだった。「自分の感情を肯定されてこなかったから、『これは本当に美味しいのか?』『これは本当に楽しいのか?』って、どっかで理由を探さないと認められない。自分の感情が信じられないんですね。最近は自傷行為も減って、学校にもちゃんと通ってるし、普通に生きてるけど、どんどん色んなことに関心が失せてるっていうか、どうでもよくなるっていうか。何にも興味ないし、楽しくない。今、生きているのかな? よくわからない」。興味なさげに手に持ったサンドイッチは中々口に運ばれず、殆ど減っていない。

「音楽が好きなんですけど、今は惰性で聴いているというか、感動が無いんですね。友達とライブに行って『凄いよかったねー! 最高! また行こうよ!』って自分で言うんですけど、『本当にそう思っているのかな?』みたいな。帰ると虚無感が凄い。写真展に行っても『ああ、写真があるな』って即物的なことしか考えられないし、何が良くて何が悪いかもわからなくて、本当に楽しいのかもわからない。でも、ブログやツイッターでは『凄いよかった!』とか書くんですよ。全部嘘っぽい」

――気持ちが入っていないのに、言葉がポンポン出てくるってこと?
「それ、凄いあります。実際は冷めているのに友達から悩み相談を受けたりすると、条件反射で綺麗事言って感謝されたりして。凄い罪悪感。帰ってから『何であんなこと言ってしまったんだろう』って、もう反省会」

――じゃあ、表向きはかなり上手くいっているんだ?
「いっているんじゃないかな? ばれてないと思う。カウンセリングの先生の前でも明るく話しちゃうから、『全然大丈夫じゃん、よくなっているよ』って言われちゃって。全然そういう問題じゃないんですけど」

――スイッチがオフの時もあるんでしょ?
「うーん、わからないですね。本当にオフになっているのかもわからないし。どれが純粋な自分かもわからないし。“ありのままで”なんて言うけど、そんな簡単に言われても困る」

――1人の時はどうしてるの?
「喫茶店に行って本読もうとしても、SNSを見ちゃうんですよ。アカウントが3つあって、癖みたいに交互に見ちゃう。1人になりたいのに1人を満喫できない。1人でいても誰かといても何も楽しめない」

絶望的な言葉を連発するつかさも、表向きは、絶品スイーツに夢中になり、好きなアーティストのライブで燥ぎ、美術鑑賞をして熱心にSNSに書き込む、楽しげな大学生。凄まじい裏表と言える。

――いつか、行動と感情は一致するようになりたいよね?
「というよりは、そういう自分を、まあいいじゃんって思えるぐらいになりたい。駄目なものは駄目でいいから、自分の中で認めてあげられるようになりたい」

――写真に写りたい自分はどんなの?
「今こうして悩んでる自分を、写真として残しておきたいんですね。そうじゃないと、全部嘘になっちゃう気がして。確かに、悩んだ自分がここにいるから。誰かに肯定してもらうのはもう諦めてるから、せめて悩んでる駄目な自分を自分で肯定してあげたいんです。私、幸せだと思うことが怖いんですよ。『幸せだなあ』とか『楽しいなあ』と感じて、今みたいに落ち込んだり悩まなくなることが怖い。感情が平坦になるのが一番怖いっていうか」

――つまり、親のように思考停止になるのが怖いってこと?
「ああ…そうかも。今、凄いグサッときました」

私は、つかさにとって難しい“1人でいる時の状態”に没頭してもらい、望遠レンズで撮影した。「1人の時の自分そのものが他人から求められる自分であり、演技になっている」という逆説が狙いだ。

「自分がどのキャラに落ち着けばいいのかって、いつも考えてます」――そう話すのは、岡山県から上京して都内で1人暮らしをする、私大哲学科に在籍中の莉子(20歳)。セミロングの髪に古着っぽいラフな服装で現れた莉子は、如何にも大学生風。小学6年生の時に旅行で初めて東京に来て以来、ずっと都会の生活に憧れていたという。「東京に来たら皆、個性が光ってて凄いなと思いました。チャラチャラしてても勉強はできるとか、モデルみたいに可愛い子とか、ビックリするほど歌が巧い子とか。自分も小さい頃から、ピアノをやったり養成所に通ったり、演劇をやったりしてたんですけど、東京に来たらそんなの珍しくなくて、『この人たちに比べたら全然何もできないじゃん』と思って落ち込んだんですよね。やっぱり、可愛い子や勉強のできる子のほうが直ぐに友達もできてるように見えて、自分は誰にも必要とされてない気がして」。上京して、莉子は直ぐに挫折した。知り合いが1人もいない街で、何も特技の無い自分に自信喪失し、電車に乗っても笑われているような気がして冷や汗が出る。小さい頃から人に合わせがちだった莉子は、東京に来てそれが急激に酷くなったという。「バイト先とか大学とかサークルとか、『その時の集団で盛り上げる人がいなければ、盛り上げたほうがいいのかな?』とか、逆に、『盛り上げ役がいるんだったら、大人しくしておこう』とか。『足りない部分を埋めるキャラでいたほうがいいのかな?』って。グループ内に自分と似た人がいると、『私はここに必要ないのかな?』と思って、居辛くなるんですよ。ただ、人と遊ぶだけなのに疲労感が凄い。周りに合わせてるから、段々自分の性格もわからなくなってきて。大人しい自分が自分らしい自分なのか、それもよくわからないし、『自分らしくしていればいいんじゃない』って言われると余計にわからなくなって辛い」

他人の尺度で動いていれば、疲れてしまうのは当たり前。でも、自信喪失中の莉子には周りの目が気になってしまう。それだけなら若い時代にありがちな悩みだけれど、驚いたことに、莉子の通う大学では皆が皆、自分のキャラを意識して生活しているという。「ちょっと食み出した行動をすると、直ぐキャラ認定されるんです。下手にボランティアすれば“意識高い系”って言われるし、ちょっと不安定になると直ぐ“メンへラ”って呼ばれる。他にも“ぶりっ子キャラ”とか“毒舌キャラ”とか“ゆるふわ”とか。一度キャラ認定されると、キャラに合った行動をしないと『違うじゃん』ってなるんですね。だから、あんまりネガティブにもなれないなって」。私生活でキャラクターを演じることに疲れてしまう“キャラ疲れ”なる言葉は知っていたけど、まさか実在するとは思わなかった。芸能人がキャラ作りに躍起になっているからか、自己啓発本が挙ってコミュニケーション能力の向上を煽っているからか、理由は色々あるだろうけど、キャラ化に依って円滑なコミュニケーションを図ろうとする事態は異常に思える。

――それは狂った世界だね。
「狂っているっていうか、それが普通だから合わせてる。私はキャラ付けされたくないから、誰にとっても当たり障りのないように、なるべく真ん中ら辺にいるようにしてます。それが一番楽なんだけど、窮屈というか。『そんなことを気にして生きていかなきゃいけない現実の世界って大変だな』と思いますね」

人の性格が型にスッポリ嵌まるほどシンプルな筈はないけれど、莉子の住む世界ではキャラ化が当たり前となっている。当たり前を無視できるのは、余程の自信家だけだ。「田舎にいた時はこんな世界は無かったのに、都会に出てきた途端、こんなに生きるのが困難だとは思わなかったです」

莉子のような話は、以前にも聞いたことがあった。真美(仮名・20歳)の通う女子大では、生徒の殆どが幼稚園の先生や保育士を目指している為か、皆が聖母マリアのような優しさに溢れ、不自然なまでに気を遣い合っているのだという。「兎に角、優しい子・気を遣える子が多くて、私は自分のことは自分でやるのに、出たゴミを『持ってくよ』とか、面白くない話を友達がした時に皆が笑ってあげるとか、そういう優しさは白々しく思えるんですね。私が間違えている子に『ここはこうだよ』って教えたら、『真美、厳しい』って言われて。面白い人に会った話をしたら、『そんなことで面白いなんて人間性を疑う』とか。ちょっと愚痴を言いたい時もあって、思い切って話したら、『でも、そんなこと言うのってあんまりよくないよね』って言われちゃって。凄いビックリしたのが、皆がサランラップを見て『可愛い~』って言っていたんですよ。『どこが可愛いの?』って聞いたら、『まあまあ、抑えて抑えて』って。もう嫌になって何も言わなくなったら、『丸くなったね~』って言われるようになった。いい子たちばっかりなんだけど、皆が嘘臭い優しさに溢れてて怖いんです」。真美は深刻な表情で、そう言っていた。与えられた役割に沿ってキャラを演じていれば、本音を見せずに会話ができるし、人の生々しさと向き合う必要もない。「いっその事、“自分”でいることを放棄したほうが生き易い」というのが、多くの若者が出した結論なのか。

「自分がどういう人間なのかわかりません。客観的に自分の姿を見る機会を与えていただけたらと思います」――そうメールに書いて応募してきたのは、新潟県で販売員をしている麻依子(27歳)。長距離バスに乗って東京までやってきた彼女は、毛先をカールしたロングへアに白いフワフワのセーターで、如何にも色気があり、儚げで優しい雰囲気を漂わせていた。「自分がちゃんとできているのか、いつも気になるんです。“ちゃんと”って何なのかよくわからないんですけど。皆、ちゃんとしているように見えるから。自分だけ可笑しいみたいな」。そして、2人のいるカフェの店内を見渡すと、囁くような柔らかい声で言った。「例えば、こうやって見てても笑っている人がいると『笑ってて凄いなあ、普通でいいな』って。笑うっていうのは、自分の中で『ちゃんとしなきゃ』って思ってやっていることなので」。麻依子は、私にメールをくれる数ヵ月前、自宅マンションの2階から飛び降りた。自殺するつもりはなく、「精神科の薬とお酒をいっぱい飲んだら、飛べるような気分になってジャンプした』と言う。漠然と“死にたい気持ち”を抱えた麻依子は、男性と恋愛関係になると直ぐに依存してしまい、関係が悪化すると不安定になるようだった。そんな自分を説明するかのように、麻依子は父親の話を始めた。「父は多分、自殺なんですね。私が小さい時からずっとヤク中みたいな感じで、亡くなる2ヵ月前にもお腹を切って未遂しているんですよ。事後報告だったからお通夜にも行ってなくて、何もわからないんですよね。それが中1の時です」。麻依子は、声のトーンを変えずにサラリと語った。か弱い雰囲気の麻依子から、薬物中毒の父親の姿は到底想像がつかない。「それ以前に、よく家族の前で包丁で頭を切ったり、手首を切ったりしていたんです。夜中に抜け出して突然、徘徊することもあって。薬をやると人が変わって、完全に可笑しくなるから」

父親は何度も「薬物を止める」と家族に宣言しては、また手を出すことを繰り返し、仕事も転々としていた。「小学校のグラウンドから家の駐車場が見えるんですよ。昼間にお父さんの車が停まっていると、『ああ、またか』みたいな。家にいるってことはそういうことだから…。『私が死んだら、お父さんも考え直してくれるかな?』って小学生の頃からずっと思ってて、『死ななきゃ』みたいに考えてたけど、『私が死んだところで変わらないんだろうな』って直ぐに気づきました」。家庭内では、「父親の薬物中毒と奇行の事実は、絶対に外に漏らしてはいけない」という暗黙のルールが出来上がっていた。家族の誰も父親の話に触れることはなく、親戚は勿論、頻繁に行き来する近所の祖母にもばれないように、常に普通を装っていた。「学校も問題なく通っていたし、表向きは普通なんですけど、家が兎に角滅茶苦茶。正直、亡くなった時はホッとしたんですよ。悲しいというよりも、終わったと思って。でも、私はお父さんのことも好きなんですね。小さい時は、お父さんと出かけることのほうが多かったから」。大人になった麻依子は、男性と恋愛関係になると直ぐに疑心暗鬼になり、不安要素を次々見出して頭がいっぱいになってしまう。

「自分の歪みのせいなんですよ。信用したいのにできない。誰が相手でも多分、同じなんですね。離れる時間が怖いっていうか。生活の軸がその人だけになって、ずっと相手のことを考えている。自分の為に生きる意味がわからなくて」

――自分自身が楽しもうみたいなのは無いんだ?
「何か、その発想があまり無くて。何をしていいのかよくわからない」

――自分が幸せになろうとは思わないの?
「幸せ…何だろう、何が幸せかよくわからない。多分、誰かを崇拝して、その人に依存しているのが生き甲斐なのかな? それがもうべース」

――じゃあ、完璧に依存できる理想の相手が現れたら幸せってこと?
「それは怖いです。実際、凄く疲れるんですよ。でも止められない」

――写真に写したいのは、自分のどんな部分なの?
「何か、いつも『ちゃんとしたい』ってずっと思ってて、“ちゃんと”って何かわかんないんですけど、男の人に『可愛い』って思われたいし、認められたい。そういうのも含めて、『ちゃんとした状態でいたい』みたいな。ちゃんとしたいのに、中々それができない」

麻依子は小さな頃から、目の前でショックなことが起きても平静を装う努力をしてきている。その“ちゃんとしよう”という意識に囚われ、今でも感情が抑え込まれたままになっているように見えた。私は、誰もいない部屋の片隅で、水の入った容器に1人ポツンと留まっている麻依子を撮影した。水が無いと生きていけない、水中生物のイメージだ。

「『自分になりたい』ってよく思うんです。だから、自分じゃないんですよ自分が」――そんな言い方で“自分”をはっきり否定するのは、派遣社員のひさよ(29)。力強い目とハキハキした喋り方で、一見して真面目そうだとわかる。頭の回転が速いのか、質問に早口でわかり易く答えるひさよは、一通りの世間話を笑顔で喋り終えると、その延長のようなテンションで壮絶な過去を語り始めた。「父がアル中で、DVが凄かったんですよ。1日中お酒飲んでて、近所のおばさんを殴って血まみれにしたりとか、警察沙汰が絶えなくて。5歳年上の兄は母の連れ子なので、特に酷い虐待を受けて頭を何針も縫っていたし、兄の流血を見て私が気絶していたらしいですよ。小さい頃から父親への殺意しかなくて、『死んでくれないかな』って毎日思ってましたね」。死の恐怖に曝されていた母と子は、ひさよが小1のある日、パジャマ姿のまま裸足で逃げ出し、二度と家に帰ることはなかった。「母が最初に逃げて警察に駆け込んだんですね。パトカーが何台も来る中で、兄に連れられて外に出ました。兄弟でいつも逃げる練習をしていたんですよ。母は、『兄を残していったら殺されちゃうから連れていくけど、私と弟のことは捨てる捨てる』って言っていた。若し兄が私たちを一緒に連れ出してくれなかったら、そのまま残っていたでしょうね」。荷物1つ持たずに飛び出してきて、無一文のまま新生活が始まった。「婦人相談所に隔離された。一旦匿うみたいな生活です。6畳1間の部屋に母と兄と私と弟の4人。食堂があって、遊ぶ場所があって、入り口のところに職員室があって、警察署みたいなイメージです。外出も申告制だし、学校も行っちゃいけないんですよ。父親に居場所を知られないように、身を隠す生活が半年続きました」。入学したばかりだった小学校は、お道具箱もそのままに、忽然と姿を消す形で退学した。一家はその後、斡旋された母子寮へと移動し、ひさよは中学生までをそこで暮らすことになる。「母親は働ける状態じゃなかったので、ずっと生活保護。元々、母は片腕が麻痺の障害者だったし。家事は私が小2からずっとやっていました」。料理・洗濯・掃除等を熟すひさよの前で、母親の精神はどんどん崩壊していった。「特に私に対してなんですけど、お父さんと結婚したことを悔いて、『お前が生まれたからこうなったんだ』とか詰る。私に言っているんじゃなくて、自分自身に言っているような感じで。娘と自分の境界がつかなくなっちゃったんです。子供みたいになってて、『あれが嫌だった』『これが嫌だった』と。『お風呂に入れないのも、お前の親父が後ろから襲ってきたからだ』とか、母はお風呂が怖くて殆ど入れなくて、不眠症だし、只管ゲームして只管タバコ吸ってみたいな生活なんです。物音も嫌がってて、DVされたからだと思うんですけど、急に物音を立てると暴れたりしていました」

兄や弟とは違い、母親は娘であるひさよに何かと絡んだ。垂れ流される愚痴の聞き役になることで、ひさよは弱って崩壊していく母親を助けようとしていた。

「私だけ母に溺愛されていたので、それと表裏一体で憎しみもぶつけられていましたね。毎日、母親から赤い水をぶっかけられているみたいな気分でした」

――赤い水?
「赤い、女の何かをかけられてるみたいな」

父親といた頃、ひさよはパーマをかけたロングへアにリボンをつけ、赤い服ばかりを着せられていた。祖母は「女の子は赤い服を着ていれば可愛い」と言って、赤い服ばかりを与え、母親はひさよをデパートに連れて行き、自分好みにドレスアップさせて楽しんでいた。大人のエゴを全身に浴びて、真っ赤なドレスのフランス人形のようになったひさよを見て、父親も「可愛い可愛い」と喜んだ。ところが、家を飛び出してからは、父親に見つからないように長かった髪はバッサリ切られ、服は貰い物へと一変した。ひさよは、母親にとっての“可愛いお人形”の役目を終えると、醜い自分を映す鏡となった。ひさよの言う“赤い水をかけられた気分”とは、母親から発せられる女としてのプライドや劣等感・恐怖・怒り・屈辱等、様々に引き起こされる感情を無遠慮にぶつけられることであり、それが真っ赤なドレスと重なって記憶されているのだろう。ひさよは、幼少期からずっと自分を自分と思えずにいる。「父親と母親を半分ずつ貰って生まれてきた血のヒト型で、そこには自分が存在しないのだ」と言う。「インべさんの写真は、その子の実在する姿じゃなくて、もっと別のものを撮ろうとしている。その子の中にある違うものを撮ろうとしていることが凄くよくわかったので、『自分だったらどう写るんだろう?』って思ったんです。だから、自分のことをただ『綺麗に撮りたい』って言われても嫌です。多分、インべさんに撮られたいのも、『インべさんに肯定してもらったら、自分がどんなふうに写るのか?』ってことに興味があるんだと思います。じゃないと、『撮ってほしい』なんて思わない」。私は“赤い水”という表現が気に入って、ひさよにどうやって赤い水をかけるかを考えていた。

彼女たちは皆、一見すると極普通の女性たちだ。私の前で流暢に本音を話しているけれど、私生活ではそうした面を殆ど見せることはない。学校や職場は勿論、友達にすら心の奥で考えていることまでは話さない。相手の理解の範疇で会話を選び、何となく一般論を喋ってやり過ごす。例えば、ひさよは「相手が本気で話してきたら、本気で話すふりをするだけ」と語った。子供時代に自分という存在を受容されてこなかったから、“自分の言葉”が理解される等とは信じられずにいるのだ。だから、普段は過剰なまでに空気を読んで、その場で求められる人間に擬態してしまう。社会もまた、大量の情報に依って「人はどう生きていくべきか?」を突きつけてくる。女性らしい服装・若者らしい遊び・嫌われない性格・理想的な交友関係等。特に疑問を持たず、“普通”を演じて社会に適応している人は沢山いるように思う。その中で「自分がわからない」と言う彼女たちは、如何にも人生を謳歌しているように見せかけながら、誰にも目撃されることのない“私”を抑圧している。“表で見せている私”と“誰にも知られることのない私”――この2つが大きくかけ離れていくと、そのストレスは表現衝動となって現れる。写真を撮る上で必要な「貴方はどういう人間か?」という問いかけに幾つも言葉が出てくるのは、実はそうした彼女たちのほうである。


インベカヲリ★ 写真家・文筆家。1980年、東京都生まれ。編集プロダクション・映像制作会社勤務を経て、2006年よりフリーに。写真集に『やっぱ月帰るわ、私。』(赤々舎)。共著として『取り扱い注意な女たち』(あおば出版)・『溜息に似た言葉 セリフで読み解く名作』(ポット出版)等。


キャプチャ  2015年8月号掲載


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