日本に憧れた父と、韓国を選んだ次男…『ロッテ』重光一族の“血と骨”

“お口の恋人”のコピーやプロ野球チームとして知られる『ロッテ』。日韓のメディアを賑わせてきた創業家一族の対立は、8月17日に開かれた臨時株主総会で、次男が父と長男に勝利した形となった。創業から67年、知られざるロッテ・重光家の歴史とは――。

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日本と韓国に跨る巨大企業グループ『ロッテ』が後継者争いに揺れている。ロッテは、1948年に東京でガムの製造会社として設立され、巧みな広告戦略で日本を代表する製菓メーカーへと成長を遂げた。創業者は、韓国・蔚山生まれの在日韓国人である重光武雄名誉会長(92)。彼は日本で成功を収めると、本名の“辛格浩”として祖国に“凱旋”。ホテルや百貨店等、幅広い事業を展開して韓国5位の財閥に成長させた。今や、ロッテは日韓で約6兆5000億円の売り上げを誇り、その内の9割は韓国の売り上げが占めている。「今回の騒動では、日本の事業の舵取りを任されていた長男・宏之氏(61・韓国名は辛東主)と、韓国を任されていた次男・昭夫氏(60・韓国名は辛東彬)との経営権争いを機に、ロッテが抱える問題が次々と浮き彫りになりました。韓国ロッテは、ホテルを頂点に関連企業が株式を複雑に持ち合う韓国財閥特有の支配構造になっています。そのホテルの株の大半を抑えているのが、ロッテホールディングス等の日本側。その為、「韓国ロッテを事実上支配しているのは日本ではないか?」との声が渦巻き、韓国では、一部でロッテ商品の不買運動まで起きたのです」(ソウル特派員)。更には、重光家に対しても厳しい目が向けられた。「これまで韓国国民の多くは、ロッテの創業者一族が重光姓を名乗っていることすら知らなかった。今回の騒動の渦中に、武雄氏と宏之氏が日本語で対話している録音が公開されるなどしたことで、『ロッテは日本企業ではないのか?』との論争に拍車が掛かったのです」(同前)。8月11日には、ソウルで記者会見をした昭夫氏が「ロッテは我が国(韓国)の企業だ」とし、「これまで、『日本で稼いだ収益を韓国に還元する』との理念で経営を続けてきた」と韓国語で釈明する一幕もあった。ロッテは日本企業か、韓国企業か――それは、未だに反日感情の強い韓国においては、事業の存続に関わる重大な意味を持つ。その答えを出すには、重光家とロッテの歴史を振り返る必要がある。

4年前、東京家庭裁判所で1件の訴訟が起こされた。“養子縁組無効確認請求事件”の原告は、福岡県在住の重光良子。被告は、東京都内在住の重光ハツ子。被告のハツ子氏とは、ロッテ創業者の妻で、後継争いを繰り広げている宏之氏と昭夫氏の実母だ。争点になったのは、約60年前に交わされた“養子縁組”だった。この養子縁組を契機に、ロッテの創業一族は“重光”姓を名乗ることになったのだ。原告の実子が明かす。「重光武雄氏が韓国籍である為、重光姓は在日韓国人に多い名字のように思われていますが、私の父の実家は大分県にルーツがあり、700年の歴史があります。両親は一時東京に住んでいたことがあり、下落合の借家に住んでいた時期もありました。借家の管理人がロッテの守衛で、彼の妻もチューインガムの包装の仕事をしていたそうです。父は彼らから『ロッテの人が重光という姓を探している』と聞かされ、この管理人が仲介役となって、東京生まれの竹森ハツ子氏が私の両親の養女となる養子縁組届が出されたのです」。裁判資料等に依れば、養子縁組が行われたのは1954年2月20日。その4日後には、ハツ子氏を筆頭とする新戸籍が作成され、3月10日には長男・宏之氏の出生届が出されている。この時、宏之氏が既に1月28日に誕生しており、切羽詰まった状況だったことが窺える。「彼らは“重光”という姓であれば、養子縁組の相手は誰でもよかったのかもしれません。1995年には父も亡くなり、今となっては養子縁組に金銭が介在したのかどうかも定かではありませんが、母は『戸籍上の娘であったハツ子氏には、生涯一度も会ったことがない』と話していました」(同前)。裁判は家裁から東京高裁・最高裁へと進み、原告が今年5月に亡くなった後、“養子縁組は無効”との訴えを棄却する形で終結した。だが、この養子縁組は、朝鮮半島出身の“幸格浩”がロッテ創業者の“重光武雄”として生きる上で欠かせないものでもあったようだ。




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武雄氏に取材経験があるジャーナリストが語る。「重光氏は農家の10人兄弟の長男で、18歳で日本に来る前に、既に韓国で年上の女性と結婚していました。彼は家族を置き去りにして、家出同然で海を渡り、日本で工場作業員や牛乳配達等を経て、苦学して早稲田高等工学校(後の早稲田大学理工学部)を卒業。戦後は手作り石鹼を売って儲け、資本金100万円でロッテを設立し、実業家として成功した後の1953年にハツ子さんと結婚するのです」。武雄氏は、以前から通称名として重光を名乗っており、この名前への拘りが後に“ある噂”となって広まることになる。「ハツ子氏は、戦後に日本政府の代表としてアメリカの戦艦“ミズーリ号”で降伏文書に調印した重光葵元外相の親族であると言われていました。『ロッテの急成長は、日本の由緒ある家柄の後ろ盾があったからだ』と実しやかに語られていたのです」(元全国紙政治部記者)。実際には、そうした事実は無い。ただ、予てから在日韓国人社会と一定の距離を取り、「パチンコ店のような在日がやる商売はしたくなかった」と周囲に漏らし、日本人であろうとした武雄氏にとっては好都合だったのかもしれない。「社名のロッテは、ゲーテの名作“若きウエルテルの悩み”のヒロインであるシャルロッテから取ったものです。重光氏は会う度に日本人の民族差別の酷さを零していて、『ロッテという名前なら、朝鮮人を差別する日本人にも受け入れられると閃いた』と話していました」(日韓経済研究センターの間部洋一所長)

その後の武雄氏は、日本と韓国で2つの“名刺”を巧みに使い分けて成功を勝ち得るが、その原動力は両国に張り巡らされた彼の底知れない人脈だった。「ロッテは、1950年代に輸入規制の対象だったガムの原料“天然チクル”の輸入解禁を、農林水産省に影響力のある政治家に働き掛け、国産初の天然チクル入りガムで売り上げを伸ばしました。武雄氏の政治力の源泉は岸信介元首相で、そこから福田赳夫氏・中曽根康弘氏へと繋がっていくのですが、岸氏と結びつけたのは“日韓のフィクサー”と呼ばれた町井久之氏とされていました」(前出・元政治部記者)。町井氏は愚連隊を束ねて暴力団『東声会』を組織する一方、政界のパイプを駆使して日韓国交正常化に尽力した。軍事政権を率いた朴正熙元大統領とも関係が深い人物だった。ロッテ元幹部の述懐。「1967年にロッテが韓国に本格的に進出したきっかけは、武雄氏が朴大統領から直接『愛国心を発揮して、韓国に投資してくれないか?』と手紙を貰ったことでした。大統領に会いに行くと、その後は大統領秘書室長が韓国進出の障害となる役人の妨害を排除する役回りをしてくれました。それが、ロッテホテルの建設に繋がっていったのです」。国策事業故に税制面の優遇措置があり、大理石やインド砂岩等のホテル建設の資材は無税で輸入できたが、韓国メディアには「資材は全て韓国国内から調達している」と答える配慮も忘れなかった。大阪市立大学大学院の朴一教授が語る。「韓国進出は製菓部門が先陣を切った形でしたが、その時に韓国ロッテ製菓の会長として招聘したのは、元首相の劉彰順氏でした。武雄氏は、劉氏が韓国銀行の東京支店長だった時に知り合い、定期的に酒を飲む間柄だったと話していました。韓国進出では当初、“日本資本の再侵略”等とバッシングを受けて葛藤を抱えたものの、政界への布石も周到に打っていたのです」

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その如才の無さでコングロマリットを作り上げたカリスマ創業者にとって、最大の悩みの種が後継者問題だった。重光氏には、最初の妻との間に長女、ハツ子氏との間に安之氏と昭夫氏、第3夫人と呼ばれる元ミスロッテとの間に次女がいるが、後継争いは宏之氏と昭夫氏に絞られていた。ロッテOBが解説する。「宏之氏・昭夫氏共に、小学校から青山学院に通っていますが、性格はまるで違います。兄は理系で、大学院を出て三菱商事で勤務した後にロッテに入った。弟は大学卒業後にコロンビア大学でMBAを取得し、野村證券ロンドン支店で経験を積んだ活発な性格です。兄弟共に、最初はロッテ商事に入社しましたが、兄は大阪支社に配属され、弟は名古屋でした。兄が電車通勤だったのに対し、弟は愛車のポルシェで出社し、父親の怒りを買ったという有名な逸話があります」。宏之氏は、在米の韓国人実業家の息女と結婚。一方、昭夫氏は1985年に、現職総理の中曽根氏や元首相の岸氏・福田氏らを招き、『大成建設』副社長の次女と東京都内のホテルで盛大な結婚式を挙げたという。武雄氏は、派手好きな弟に『千葉ロッテマリーンズ』の球団運営や『ロッテリア』の経営を担当させた後、韓国ロッテを任せた。1996年8月、昭夫氏は大きな決断を下す。日韓の2つの国籍のうち、韓国籍を選び、母が養子縁組までして得た“重光昭夫”の日本国籍を捨てた形となったのだ。「武雄氏は日韓を隔月で往復しながら、総括会長として君臨し、長男と次男の双頭体制を目指したものの、体調を崩してからは車椅子生活になった。約2年前から、ロッテホテルの34階にある自宅に籠もりがちになっていました」(ロッテ関係者)

そして、“お家騒動”が勃発する。発端は、今年1月に新規事業への投資の損失を理由に、宏之氏が取締役を解任されたことだった。「昭夫氏は周囲に『父がやったことだ』と話していましたが、宏之氏側は『昭夫氏とその参謀たちに依る“クーデター”だ』と受け止めた。7月に、今度は昭夫氏が手掛ける中国事業での損失に武雄氏が激怒し、解任する動きが起こると、昭夫氏側は『武雄氏の記憶力が著しく低下している』とし、偉大なる創業者に初めて弓を引いたのです」(同前)。7月27日、反撃の狼煙を上げた武雄氏側が来日。ロッテ本社5階の社員食堂に武雄氏が車椅子姿で現われると、集まった社員からは拍手が起こったという。「しかし、その約2時間後、昭夫氏側が同じ場所に社員を集めて、『我々のほうが正しい』と力説。翌日の取締役会で武雄氏の代表権を外し、名誉会長に棚上げすることが決まったのです。社内では今後の報復人事も含め、不安が渦巻いています」(同前)。ロッテ広報部は、宏之氏の解任理由については「コーポレートガバナンス及びコンプライアンス上看過することができない問題があった」とし、昭夫氏が主導した中国事業については「徐々に改善していると聞いている」と回答した。武雄氏が文字通り身を削って作り上げたロッテ王国。日韓を舞台に繰り広げられるお家騒動は、重光ロッテの“宿命”だったのかもしれない。


キャプチャ  2015年9月3日号掲載


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