安倍首相、空疎な天皇観――天皇・皇后両陛下の歴史への思いが通じない原因は内閣と天皇の“距離”だ

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「天皇と政治的指導者(特に首相)との関わりは如何にあるべきか?」――もう30年ほど前になろうか、宮内庁長官を退官した宇佐美毅氏に、首相の昭和天皇への内奏について尋ねたことがある。その折に、「最も印象に残っているのは、田中角栄元首相だった」と述べていた。多くの首相は、慣例的に内奏を行ったにしても、天皇に政治的判断を求めるような説明は極力避ける。例えば、昭和天皇が「経済は上手くいっていますか?」との問いを発すれば、「今は不況ですが、2~3年もすれば景気は良くなると思います」と手短に答えるのが一般的な形である。その内閣の経済政策を説明すれば、天皇の質問や回答はそれに沿った内容にならざるを得ない。“天皇の政治的関与”を避ける智慧が両者の間にあった。ところが、田中元首相はそういう慣行を無視して、天皇が「経済は上手くいっていますか?」と尋ねられると、貿易収支がどうのとか自らの内閣の経済政策の説明を延々と行ったというのである。普通は10~20分という内奏の時間が30分近くにも及んだこともある。この説明を続けながら、宇佐美氏が「田中さんは、陸下が政治的立場を重んじて聞くだけの関係をいいことに、思う存分、自らの意見を述べ続けた訳です」と苦笑を浮かべていたのが、今も私の記憶には残っている。首相在任者の回想録や証言・日記を読んでいくと、其々様々な感概やら感想があり、それ自体が歴史そのものと言っていい。2~3の例を挙げると、佐藤栄作元首相がアメリカのジョンソン大統領から沖縄返還の約束を得て帰国し、夜半だったにも拘らず内奏に赴いている。佐藤の日記を基に書かれた『正伝 佐藤栄作』(山田栄三著)に依ると、「沖縄や小笠原の返還に、強い関心を持たれた陸下は、こまごまと質問され、首相の説明に非常に満足されたようだった」とあり、「この後、皇太子の御所は、記帳だけの予定が、とくに招ばれて1時間ほどの報告となった」ともある。昭和天皇・皇太子(今上天皇)も、沖縄返還を殊の外喜ばれたことがわかる。「普段は政治との距離を注意深く取っておられた昭和天皇も、関心を寄せられた沖縄の問題となれば長い説明をお聞きになることもある」ということだろう。佐藤は歴代首相の中でもとりわけ、昭和天皇と相性が良かったことも知られている。

中曽根康弘元首相の回想録(『自省録』)には、岸信介元首相の死亡時に正二位大勲位菊花大綬章を授与する旨を伝えた折の光景が記されている。「天皇陛下の御前で、『岸さんを正二位大勲位に奏請いたします。よろしくお願いいたします』と言って、功績調書(※安保改定のこと)を読み上げました。天皇陛下はやや時間をかけてお考えになられて、『そういうことであるならば承認する』とおっしゃいました」。中曽根氏は、昭和天皇が「そういうことであるならば」と“感情を刻むような表現”を用いたことを正直に明かしている。これは私の推測になるのだが、太平洋戦争開戦時の東條内閣の閣僚であったことを含めて、ある時期の政治行動に納得していないことを表しているようにも思えるのであった。その岸元首相を“政治の師”として仰いでいるのが安倍晋三首相である。その安倍首相と天皇陛下の関係については、どうなのだろうか? 『内奏 天皇と政治の近現代』の著作を持つ愛知学院大学の後藤致人教授に聞いてみた。「安倍首相の内奏記録を調べていくと、特に変わったところは無く、定型に従っている印象です。国事行為に関係する叙勲、閣僚認証式に絡む人事関係について内奏しています。両陛下との食事会の開催も、昭和天皇の時からの慣習で、これも定型に則っている」。天皇陸下は、自身が国民統合の“象徴”であることを繰り返し語り、政治との距離に極めて慎重な姿勢を示してきた。皇太子時代の発言でも度々そのことに触れられている。「明治天皇が政治的な発言をしたことはあまり無いんじゃないかと思います。例えば、(大日本帝国)憲法の制定の審議の時も特に発言していることは無いようですね。そういう意味で、明治天皇の在り方も政治とは離れた面が強かったとは言えると思います」(1987年12月のお誕生日会見)、「日本国憲法には、『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない』と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています」(2013年12月のお誕生日会見)。しかし、宮内庁の元関係者を含め、皇室に詳しいジャーナリストに聞いていくと、安倍首相の側には天皇との距離の取り方に慎重さが欠ける面が見られるという。例えば、2013年4月28日に行われた『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』である。この式典は歴代内閣で行われたことはなく、その後の2014年・2015年にも行われていない。何か奇妙な印象を与える国家行事なのである。




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元々、この式典は安倍首相が力点を置いた選挙公約でもあった。政権に返り咲いた2012年の自民党の総合政策集に、2月11日の『建国記念の日』・2月22日の『竹島の日』、そして4月28日の『主権回復の日』の式典開催が明記されていた。竹島の日は韓国政府に配慮して政府主催を断念したが、4月28日については「安倍首相が『必ずやりたい』と考えていた」(大手新聞記者)という。この式典挙行までの経緯やその裏側を取材していた宮内庁担当記者は、こう証言する。「この式典は土台無茶な話で、61周年という中途半端な節目の時に安倍さん主導に依る、世界に誤解を与えかねない式典だった。はっきり言えば、安倍さんは『日本国憲法はアメリカからの押しつけである』というイメージを作りたかったのです。「1952年の主権回復までの政治的な出来事は、全て占領下の押し付けだ」としたかった。安倍さん周辺の若手は、そういう言い方をしていました」。何のことはない。極めて政治的且つ思想的式典だったことになる。だから、自民党のどの内閣もここまでは手をつけなかったのである。実は、この式典が“政治的”と言われる理由は2点あった。第1点は、沖縄県の人々の感情を全く無視していたことである。4月28日はサンフランシスコ講和条約発効の日だが、逆に言うと、沖縄や奪美大島等は日本から切り離された“屈辱の日”でもある。この屈辱の日に平然と政府主催の式典を行うことは、沖縄県民の存在を無視していると受け止められた。当時の仲井眞弘多知事は県民感情を考慮して出席を躊躇い、結局、高良倉吉副知事が代理出席した。高良氏が語る。「会場に入って驚いたのは、各都道府県代表の席の中で沖縄県が一番良い席だったことです。当時、沖縄のメディアや多くの県民から強い反撥が出たから、そのような配慮があったのでしょう。配慮は感じられましたが、複雑な気持ちは変わりませんでした」。当時、那覇市長だった現在の翁長雄志知事は元々保守系の人物だったが、この式典に激怒して安倍内閣と距離を置くことになった。

この式典が政治的と言われる第2の理由は、その背景に“ある歴史観”が感じ取れるからだ。それは、刑死者7人を含むA級戦犯を合祀した靖国神社元宮司の松平永芳氏が語っていた歴史観である。松平氏は、戦争には軍事と政治の両面があり、1945年8月15日は軍事の戦争が終結した日、1952年4月28日は政治の戦争が終結した日との考えを持っていた。つまり、アメリカを中心とする連合国は、6年8ヵ月に亘り日本を占領した訳だが、これを“政治の戦争”と見る訳である。A級戦犯の刑死者7人は、この歴史観でいくと“政治という戦争の側面での戦死”であり、靖国神社に合祀されるのは当然ということになる。この見解は松平氏を始め、右派系の学者や研究者・ジャーナリスト等に依っても主張されている。安倍首相の言う“占領憲法”“押しつけ憲法”というのは、こうした思想的背景からの見解だということもわかってくる。このように、政治的に生臭さの残る『主権回復の日』の式典に、天皇・皇后両陛下の出席を要請すること自体、極めて政治的であった。この間の経緯(つまり、両陸下の出席ということだが)について、当時の事情をよく知る新聞記者等の話を纏めていくと、首相官邸からの出席要請に対し宮内庁首脳も呻吟を重ねた節が窺える。天皇は国事行為のみを行う。だが、その際に内閣の助言と承認に基づくという建前がある以上、内閣から要請があれば実際には断れないというのが当時の幹部たちの判断だった。宮内庁の幹部であれば、天皇・皇后両陛下が若い頃から沖縄のことを知ろうと努力をされ、一方ならぬ思いを寄せられてきたことを知らぬ者はいない。内心では「これは陛下の意に沿わない」と考えたとしても、内閣からの「是非出席されたい」との強い要請となれば、押し返す訳にもいかない。側近たちも苦渋の決断を迫られたし、沖縄への想いがある天皇・皇后両陛下の苦衷は深く重いものだったと、一部の関係者の間では語られていたという。

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だが、そういった機微に触れる問題であることを、政権側がどれだけ承知していたかは定かでない。「安倍政権の周辺の人々から『沖縄からこれだけの反撥が起きるとは思っていなかった』と本音を聞かされ、その無神経さに驚いた」という大手新聞記者の話もあるからだ。更に付け加えれば、両陸下が退場される時にテレビカメラの前で「天皇陛下万歳!」の声が起こったのも異様であった。こうしたことを行えば行うほど、『主権回復の日』を権威付ける為の皇室の“政治利用”だと受け取られることも止むを得ないだろう。前述の高良元副知事は、「万歳が起こったことに私は驚いて、身体が一瞬竦みました。私たち沖縄県民は、とても万歳という気持ちにはなれません」と振り返る。あの万歳三唱には安倍首相も加わったという。内閣には一定の節度が求められる筈だが、その辺りの線引きが安倍首相の頭の中で曖昧なままなのではないかと、私は危惧を覚える。敢えて、もう一例挙げておきたい。2013年9月、高円宮妃久子殿下が国際オリンピック委員会(IOC)総会でスピーチをされ、政治と皇室の距離が問題となったことがあった。そのIOC総会で2020年のオリンピック開催地が決まる為、皇室の政治利用が懸念されたからである。この一件は同年5月、「『招致には皇族の力が必要だ』との官邸の意向が文部科学省に伝えられたのが発端だった」と関係者は証言する。当初は三笠宮家の彬子女王殿下のご訪問のみが検討されたようだが、官邸からの要請はエスカレートした。7月に久子妃殿下のご訪問が決まった後、「IOC委員との懇談に限る」とされていた筈が、直前になって“東日本大震災の被災地支援の御礼”という形でスピーチすることが決まった。文科省の下村博文大臣が宮内庁長官室を訪れ、官邸の事務方トップの官房副長官からも長官室に電話が入ったという。安倍政権の意向は断固たるものだったようだ。

オリンピック招致は各国が凌ぎを削って争うものであるから、当然のことながら宮内庁側には「皇族の“政治利用”になりかねない」との懸念があった。風岡典之長官は、「ギリギリ、『招致活動ではない』と言えるのではないか」「天皇・皇后両陛下もご案じになっているのではないかと拝察している」と発言。これに対して、菅義偉官房長官は「違和感がある」と批判した。50年前の東京オリンピックや札幌での冬季オリンピックでも、一度決定した後は天皇を始め皇族が関わることがあった。しかし、決定のプロセスに皇族が関わるという例は無い。だから宮内庁側に、「招致に失敗したら、皇族が責任の一端を負わされるのではないか?」との懸念があったとしても無理はない。久子妃殿下のスピーチや皇族の印象がよかったこともあり、その後、問題の本質が論じられることはなかった。だが、その年の12月に行われた天皇陛下のお誕生日会見で記者から、「今年はオリンピック招致活動を巡る動き等、皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動についてどのようにお考えか」と質問が出た。これに対して天皇陛下は、「(先に引用した、憲法に定められた条項を)遵守することを念頭において、天皇としての活動を律しています」とお答えになった後、次のように述べられている。「しかし、(記者会からの)質問にあったオリンピック招致活動のように、主旨がはっきり謳ってあれば兎も角、問題に依っては国政に関与するのかどうか判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです」。天皇が“皇室と政治との距離”について、極めて慎重にお考えになっていることがよくわかる発言である。「主旨がはっきり謳ってあれば兎も角」と仰りながら、「参与も宮内庁長官始め関係者も、一生懸命考えてくれました」という行に、風岡長官が言う“ギリギリ”の判断があったことが窺える。政治からの安易なアプローチに戸惑いつつ、まさに“ギリギリ”の判断をされたということだろう。

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「“政治と皇室の関係”、或いは“内閣と天皇の関係”は、従来よりも安易に考えられているのではないか?」というのが私の懸念である。政治や軍事が皇室利用を企図して近づいた時、国を誤った方向に導くことは、70年前に終わった戦争で日本国民が身に染みて痛感した筈ではなかったか? 戦前までの大日本帝国憲法の下では、「国体(天皇)は政体(内閣)の上にある」とはっきり規定されていた。例えば、内閣総理大臣は天皇に依って大命降下されるものであった。だが、昭和初期からその関係は次第に変容し、政体が国体を超えることが屡々起こるようになる。重大な局面で天皇の名を借りながら、内閣は戦争に突き進み、国は破局を迎えた。昭和初年代から10年代にかけての日本ファシズムは、政体が国体を超えた国家システムだった。この反省から、戦後は国体と政体が切り離され、並列するような形とされた。いや、天皇を政治から遠ざけてきたのは古来からの智慧でもあった。天皇陛下は、皇太子時代に次のように語られたことがある。「日本の皇室は、長い歴史を通じて、政治を動かしてきた時期は極めて短いのが特徴であり、外国には無い例ではないかと思っています。政治から離れた立場で国民の苦しみに心を寄せたという過去の天皇の話は、象徴という言葉で表すのに最も相応しい在り方ではないかと思っています」(1984年、ご結婚25年の会見)。戦後の天皇の仕事は、内閣の助言と承認に依り、“憲法の定める国事に関する行為のみ”とされたのである。そして活動範囲は、「国政に関する権能を有しない」と明確に区切られた。昭和8年の暮れにお生まれになり、11歳であの8月15日を迎えられた天皇陛下は、歴代の天皇の事蹟を学びつつ、昭和天皇からその体験を直接お聞きになって、皇太子時代を過ごされた。そして、即位されてからは国民の象徴として国民に寄り添い、そして政治との距離を保つことを心に銘じて、長い間、務めを果たされてきた。

だが最近になって、政治のほうから不用意に皇室に近づこうとする動きが続いている。それは、「政体が国体の上位にあるかのように錯覚しているのではないか?」と取れなくもないほど、政治の側が傲慢さを見せる形になっている。これは安倍内閣のことばかりを言うのではなく、鳩山内閣の時には民主党の小沢一郎幹事長が強引に中国の首脳を天皇陛下に会わせようと試みたことも念頭にある。あの時、宮内庁の羽毛田信吾長官が「慣例に従ってほしい」と異議を唱えたのに対し、小沢氏は「一部局の一役人が内閣の方針や決定したことについてどうだこうだというのは、日本国憲法の精神・理念を理解していな い」と記者団に不満をぶちまけて、物議を醸した。安倍首相は、表向きそのような傲慢な態度を見せる訳ではないが、皇室に対して繰り返しアプローチしているところを見ると、「利用できる時には利用したい」と皇室に対する安易な姿勢が見て取れる。最近は逆に、「天皇陛下が、ともすれば政治的なご発言をされているではないか」という批判も見受けられる(例えば、平山周吉『天皇・皇后両陛下の“政治的ご発言”を憂う』-『新潮45』2015年7月号)。安倍首相の側近として知られる『日本教育再生機構』の八木秀次理事長も、小誌の取材にこう話した。「このところ、政治的、或いは政治を匂わせるようなご発言――新聞風に言えば、“滲む”表現が多いと思います。特に憲法関係、そして戦後70年の歴史に関してです。例えば、今年元旦のお言葉ですが、何故“満州事変に始まるこの戦争の歴史”と仰ったのか? これは、東京裁判が日本を断罪する為の切り取り方と同じです。“戦争の歴史”とだけ仰れば全てを包括できて、天皇陛下のお気持ちはより通じると思うんです。それを限定されるから政治性を帯び、論争が生じる訳です」

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予てその発言から、「天皇陛下が“護憲”的であり、戦後平和主義的であるのに対して、安倍首相は“改憲”的であり、戦後レジームからの脱却を標傍しているから馬が合う筈がない」という見方があった。だが、「それは天皇陛下の姿勢を誤解した見方である」と私は考えている。確かに、天皇陛下が戦争や平和について語られることは多い。そして、憲法について語る時は必ずと言っていいほど、「憲法を守り、象徴として国や国民の為に務めを果たしていく」ことを強調されてきた。「占領下にあった日本は、平和と民主主義を守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、且つ改善していく為に、当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派のアメリカ人の協力も忘れてはならないことと思います」(2013年12月のお誕生日会見)。こうした発言は「護憲的だ」と受け取られがちだが、「その真意は異なる」と私は思う。現行憲法の上にご自身のお立場がある以上、「その憲法を尊重し、その規定する務めを果たす」と宣言しておられるに過ぎない。学習院幼稚園から高等科まで天皇陛下と同級生だった明石元紹氏の見方はこうだ。「陛下は、小泉信三さんからルールを守る大切さを教わっています。両陛下はご発言の中で、『憲法を守る』という言い方をされますが、それは『国民の決めた憲法を守る』との意味です。若し、陛下の御発言が少しく政治的になっていらっしゃるという方がいるのであれば、それは陛下が『今の時代は危険だ』とお感じになっているということではないでしょうか? 陛下は、皇室のあるべき姿が変わっていくことを案じておられるように思います。『ルールを今こそ守らなければ…』との思いかと、私は推測しています」

つまり、「天皇陛下は、国民が改憲を望むならば、その新たな憲法の下にお務めを果たされる」ということだろう。「“ルールを守る大切さ”を尊重される天皇陛下なら、必ずそうされる」と私も思う。抑々、嘗て改憲について疑問を呈したことは一度も無いのだ。従って、事の本質は“護憲か改憲か”ではない。問題とすべきは、内閣と天皇の“距離”なのだ。天皇・皇后両陛下は、2014年6月に対馬丸犠牲者の慰霊を行った。2015年4月にはパラオを訪問し、ペリリュー島等を訪ねて、日本軍将兵だけでなく、戦争で逝った戦地の人々を含め、全ての犠牲者に深々と頭を垂れている。あの戦争で逝った人たちへの追悼と慰霊が年を追って疎かになっていくのに対し、両陛下は追悼と慰霊の継続を訴えているようにも見える。2015年2月23日のお誕生日を迎えるに当たり、皇太子殿下はこう述べられた。「戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返ると共に、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本が辿った歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」。天皇陛下の思いを引き継ぐことを明確に示したということだろう。天皇・皇后両陛下も皇太子殿下も、“政治”と関わることを慎重に避けながら、しかし“歴史”に対しては発言と行動を伴った形で追悼を繰り返している。この動きが皇室内に着実に広がっているのは、本来あるべき皇室の務めをきちんと認識されているからであろう。その一方で、安倍内閣に代表される政治は“脱・歴史的”な方向に進み、時に極めて便宜的に天皇を利用しようとしている。それも無神経に――というか、政治的視点のみが前面に出ている。そこには、歴史を振り返る知性は感じられない。

6年前、小沢氏が天皇陛下と中国首脳の特例会見を強引にセッティングし、それを「国事行為だ」と記者会見で正当化した時、安倍首相(当時は野党)は自身のメールマガジンで、「天皇の政治利用は、『好きにやらしてもらう』との宣言と言える」と批判したことがある。無論、安倍首相にも政治家としての定見はあるのだろうが、小沢氏を批判した時とは皇室に対する姿勢が異なるのではないか? 安倍首相の天皇観は、佐藤栄作・中曽根康弘といった歴代総理と比べると、その深さにおいて違うように思う。彼らは、自らの政治信条の為に天皇を利用することは避けていた。それが常識であった。「皇室との距離を取る」という常識が日本の政治から失われつつあるのかもしれない。両陛下の歴史への思いが安倍首相の政治的意思の前に通用しないとすれば、何と悲しい時代であろうか。 (昭和史研究家 保阪正康)

               ◇

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このまま沈むか、再浮上に転じるか――安倍政権の雲行きが俄かに怪しくなってきた。安保法制・メディア攻撃・新国立競技場等、支持率急落の原因は色々でも、安倍晋三首相の統率力に疑問符が付き出した点は共通している。政治報道にも変化が兆してきた。慰安婦報道で意気消沈していた朝日が、このところ特ダネを連発しているのだ。国政の焦点だった国会会期は「9月下旬まで」(6月21日付)。しかも、延長国会も酣の時期に「首相、9月訪中を検討」(7月11日付)。何れも堂々の1面トップ。安倍官邸が苦境に足掻く様を伝える見事なスクープである。近年の政治記事は、与野党どちらにも官邸が優位に立つ“一強体制”の下、安倍支持の読売・産経(・日経)と安倍批判の朝日・東京(・毎日)の両陣営に論調が二分される状況が固定化してきた。必然的に、特ダネは読売の独壇場。「役立つ情報は読売にしか載らないから、他は読まない」と公言する官僚すらいる。ところが、首相訪米後に出た「菅義偉官房長官が自民党幹事長に栄転」の観測記事(5月9日付)といい、会期延長直後の「自民総裁選 無投票強まる 党人事・内閣改造小幅か」(6月23日付) の見通し記事といい、少し首を傾げざるを得ない形勢である。朝日の特ダネ復活は、政権・与党内に“読売独り勝ち”を牽制する情報提供者が登場したことを窺わせる。朝日が復調し、他紙も発憤して特ダネ競争が活気づけば、読者は大歓迎。安倍体制に対するこの手の揺さぶりには、何れ本格的な政局に繋がる匂いが漂う。

折しも、現在の各紙の“特ダネ力”を顕著に表すニュースがあった。今年の8月、最大の注目は戦後70年の首相談話である。春先から「“侵略”や“お詫び”のキーワードは盛り込まない」という政権の地均しが浸透し、報道は低調だった。そこへ、「談話を閣議決定しない」という官邸の“奇策”が露見した。一報は6月21日付の日経。掲載は2面で、「中韓に配慮 閣議決定見送り浮上 謝罪盛らず 個人の見解に」という何やらおずおずとした筆致だった。すかさず、読売がこれを追い越した。翌22日付1面で、「閣議決定見送り 首相方針 “公式”意味合い薄める」と確定報道に仕立てたのだ。流石、官邸に太い情報源をお持ちでいらっしゃる。日経も同日付夕刊1面で追走したが、尚も「見送り検討」と自信無さげな書きっぷりだ。すると俄然、朝日が奮起した。翌23日付1面に、「閣議決定せず 首相方針 自身の歴史観反映か」と確定報を打って追いつき、翌24日付2面で「“個人の談話”あえて選択」と大々的に解説記事を展開。注目すべきは、「首相周辺が明らかにした」と官邸に情報源を築いたと明記している一文だ。これは侮れない。23日付朝刊では、それまで音無しだった他紙も漸く続いたが、東京は2面の隅で「見送りを検討」と依然及び腰。産経に至っては、菅官房長官の記者会見を「何も決まっていない」と伝えるだけの素っ気無さ。東京は声高な政権批判が売りだが、政局の特ダネ競争に加われるのか、心許無い。産経は、論調こそは勇ましい安倍シンパでも、どれだけ頼りになる情報源を持っているのだろうか。

一切沈黙を通した毎日は25日付1面トップで、「談話 8月初旬に 閣議決定見送り検討」、5面に「前倒しで独自色」と、それこそ独自の意地を見せた。但し、記事を読むと見送りの裏付けはやはり取れていない。手続きの話を発表時期の話に替えて一矢報いた筈が、1ヵ月後の7月22日付2面に「談話(8月)10日以降に発表」と訂正記事を載せた。特ダネを追いかけられず、独自ネタは誤報。やんぬるかな、毎日。最後に付言しておくと、実はこの特ダネは会員制月刊情報誌の『FACTA』が、6月20日発売の7月号に「“安倍70年談話”に秘策」として報じたもの。日経が「浮上」と書いたのは翌日付紙面だった。勿論“偶然の一致”だろうが、敏腕記者たちは新聞に載せてもらえない特ダネを雑誌に書く。小誌8月号に『習近平暗殺計画』を寄稿した元読売記者も然り。新聞は伏魔殿か、抜け殻か。


キャプチャ  2015年9月号掲載


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テーマ : 安倍晋三
ジャンル : 政治・経済

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