【異論のススメ】(07) 憲法9条と戦争放棄…そもそも“平和”とは何か

先頃、参議院において成立した安全保障関連法に対しては、国会の内外で賛否両論が激しく対立した。聊か興味深いのは、どちらの陣営も“平和”の名目で賛成し、また反対したということだ。“平和”というものの理解において、国論が二分されている訳である。とりわけ、国会を取り巻くデモの参加者たちは「憲法守れ」「戦争法案反対」「平和を守れ」を合言葉にした。「安倍首相の進める安保法制は、“平和”への挑戦だ」と言うのである。しかし、抑々“平和”とは何なのだろうか? 憲法9条を守るという“平和主義者”たちは、「戦争とは殺人であり、従って、平和とは戦争の無い(=人が殺されない)状態だ」と言う。そして、「戦争放棄の憲法9条は、日本が他国の戦争に巻きこまれない(=人殺しをしない)仕組みである」と言う。つまり、「私も殺人を犯さないから、私も殺されないようにする条文だ」と言う。もう少し理念的に言えば、「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義という日本国憲法の3原則は相互に深い関連があって、人々が自己の生命や財産に対して持つ基本的権利を守るには平和主義が不可欠であり、それを実現するには国民主権が伴う」。確かに、この背後には“平和とは戦争(人殺し)の無い状態”という理解がある。だが、若しそうであるなら、忽ち疑問が出てくる。人殺しは悪だとしても、だからといって人殺しが無くなることはないだろう。とすれば、戦争もまた同じではないか? だが、またこうも言える。所謂、人殺しと戦争は同じではない。いや、抑々人殺しと戦争を同一視するほうが可笑しいのではないか? とすれば、戦争をそれなりに回避する仕組みを作ることは可能ではないか?――こういう疑問である。

“平和(ピース)”とは、そのラテン語の語源からもわかるように、元々“支配に依る平和(パックス)”という意味を含んでおり、強国の支配に依って作り出された秩序という含意を持っている。つまり、“平和”とはある強国に依って平定され、そこに秩序が生み出されるという歴史的事実と無関係ではない。だから、“ローマに依る平和(パックスロマーナ)”や“アメリカに依る平和(パックスアメリカーナ)”等と言う。冷戦後には“パックスコンソルティス(国際協調に依る平和)”という概念も唱えられた。斯くて、欧米における“平和”とは多くの場合、ある“覇権”を前提とし、その下での秩序形成や、或いは覇権争いの結果としての勢力均衡を意味することになる。だから、冷戦は“冷たい戦争”であったと同時に“長い平和”でもあった。それは、米ソ両国で辛うじて軍事バランスを取ったからである。ここには、殺人と同様に、「決して戦争は無くならない」という“人間観”がある。その背後には、日本等と比べれば遥かに頻繁に、民族的自尊や集団的利害や宗教的信念等の理由で対立と殺戮を繰り広げてきた西洋の歴史がある。戦争は、生命を賭けてでも獲得しなければならない何ものかの為にもなされてきた。だから、“平和”もまた“力”を前提とする。それは、“力に依る平定”に対する同意が生み出す秩序であり、又は“力”のバランスの維持なのであった。とすれば、戦後日本の“平和主義”がその意味での“世界標準”から相当にズレていることを、我々は先ずは知らなければならない。勿論、“世界標準”が正しいという理由もなければ、それに合わせなければならないという理由もない。だが、このズレを国是にするとなると相当な覚悟が必要である。仮に、他国からの侵攻があった時に、我々は基本的には無抵抗主義を取らねばならない。私はこの理想を個人的には称賛し、感情的には深く共鳴するものの、それを国是にする訳にはいかない。




フランスの社会人類学者のエマニュエル・トッドが、日本の平和主義についてこんなことを書いている。「私が日頃から非常に不思議だと感じているのは、日本の侵略を受けた国々だけではなく、日本人自身が自分たちの国を危険な国であると必要以上に強く認識している点です」(『文藝春秋』2015年10月号)。つまり、「長い歴史の中で日本が危険なことをしたのはほんの短い期間であり、しかもそれはヨーロッパの帝国主義の最中の出来事であった。日本はただその世界情勢に追随しただけだった」と彼は言っている。このトッドの見解に私も同感である。日本の憲法平和主義は、自らの武力も戦力も放棄することで殊更自らの手足を縛った。しかし、他国は武力を放棄していないのである。こうなると、我ら日本人だけが危険極まりない侵略的傾向を持った国民だということになってしまう。トッドのような疑問が出るのは当然であろう。“平和への祈り”や“平和への希求”は当然のことで、それが憲法の精神を形作ることには何の問題もない。しかし、憲法9条の平和主義はそうではない。我々自身への過度な不信感と、終戦直後のあまりに現実離れした厭戦感情の産物であるように思える。私には、我々日本人は歴史的に見ても、法外なほど好戦的で残虐な性癖を持っているとは思われない。我々は、未だに敗戦後の自己不信に縛りつけられているのではないだろうか。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2015年10月2日付掲載≡


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