【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(01) 国鉄民営化に人生賭す、“正しいか否か”妥協せず貫く

“豪腕”等と評されることが多いが、それは違う。本来、私は慎重で、寧ろ臆病な質である。幼い頃、母が近所に絵や書道を習いに通わせたのも、内気で恥ずかしがりの性格を心配してのことだった。学生時代までは親や友人・教師等、周りの期待に応えるよう振る舞ってきた。真面目で成績がよく、ルールをきちんと守る。そうすれば皆が安心し、褒めてくれる。“都会で甘やかされて育った秀才”だったのだと思う。そんな私が国鉄に入り、実現できるとは誰も思っていなかった分割民営化を推し進めた。一課長に過ぎない立場で、組織を敵に回し、圧倒的な力を持つ労働組合を捻じ伏せるようにしてである。いつだったか母が、「敬之は優しく良い子だったのに、最近は別人のように荒れてきた。国鉄は悪い職場だ」と妹たちに話しているのを耳にして、苦笑したことを思い出す。抑々、国鉄との出会い自体、偶然に過ぎなかった。大学4年生の時、うっかり落とした学生証と定期券を杉並の荻窪駅に受け取りに行った時のことだ。駅の助役が私の学生証を見ながら、こう言った。「貴方、東大の法学部じゃない。だったら国鉄にいらっしゃい。出世が凄く早いですよ。特急組だから5年目には課長になるし、10年そこそこで部長ですよ」。それまで、鉄道には全く興味は無かった。勿論、就職先として考えたこともない。第一、国鉄に大学卒の採用があることさえ知らなかったのだ。人生の明確な目標は無かった。出世が早ければ、早く面白い仕事ができるに違いない。他に興味のあるものが見つかれば、転職すればいい。そんな考えで、“仮の宿”として国鉄へ進んだのである。1963年のことだ。

入社して直ぐに、「ここは自分が一生を過ごす場所ではない」との思いを抱く。国鉄は翌年から赤字に転落。借金漬けの状態になっても組織内の危機感は薄く、問題を先送りするだけの再建計画が繰り返し作られていく。職場の規律は崩壊していた。静岡・仙台の鉄道管理局勤務となった私は、悪慣行が蔓延る現場の実態に直面する。そのような厳しい状況の中で、身を削るようにして鉄道の使命を果たそうとする現場管理者たちに出会った。彼らを守り、国鉄を生き返らせる為にはどうすればいいのか? “正しいか否か”だけを判断基準として妥協せず、筋を通すしかない。私は変わった。労組と馴れ合う本社の方針に逆らうことで、否応無しに自立したのだ。軈て、「国鉄の再生には分割民営化しかない」という確信を胸に、本社に戻る。この時、自らの職業人としての人生を、この一事にかけようと心を決めた。まさに不惑の年、40歳を迎えていた。民営化後は『東海旅客鉄道(JR東海)』に移り、日本の鉄道の精華である東海道新幹線のシステムを磨き上げてきた。そして今、超電導リニアに依る中央新幹線の開通を見据えている。国鉄で24年、JR東海で28年。“仮の宿”だった筈の鉄道は、私の“終の棲家”となった。戦い、駆け抜けてきた半生を、この辺りで振り返ってみようと思う。


≡日本経済新聞 2015年10月1日付掲載≡


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