【私の履歴書】JR東海・葛西敬之名誉会長(02) 父に俳句や和歌教わる、負けず嫌いな一面は母譲り

「葱買て 枯木の中を 帰りけり  蕪村」――遊びに出かけた隣の家で、3歳になったばかりの私がこう諳んじたので、周りの大人たちは大層驚いたそうだ。勿論、句に込められた思いや情感をわかってのことではない。父に暗唱させられていたものを、そのまま口にしただけである。1940年10月、私は兵庫県の明石で生まれた。父・順夫は明石中学の国語・漢文の教師だった。程無くして、一家で東京へ移る。葛西家は代々、新潟・佐渡の医者であり、漢学者である。私塾を開き、子供たちに学問を教えてもいた。順夫の父である祖父・千秋は10歳の時、学問を学ぶ為にひとり東京へ出されたという。「我が子、千秋を東京へ送る。貴方はもう幼くはない。学ばねばならないのだ。天は広く、前途は遠い」――私が子供の頃、家の床の間には旅立つ息子の餞に詠んだ、こんな曽祖父の漢詩がかかっていた。東京に出た千秋は、今の開成中学・高校で学んだ。10歳かそこらで、漢文は開成の先生に教えていたという。その祖父の影響のせいか、父は学問そのものと、それを教えることに徹した人であった。東京では都立高校で教壇に立っていたが、「昇進して校長になる」といった考えは全く無かった。人に迎合することなく、自由でいたかったのだと思う。親しい人たちとは、自宅の回り持ちで聖徳太子の勉強会を開いていた。複雑な家庭の学生たちを家に招いて寝泊まりさせていたことや、和歌を作っていたことが記憶に残っている。父は私に、国語・漢文の基礎を染み込ませようと思ったに違いない。幼い時分には与謝蕪村や松尾芭蕉の俳句を、5歳を過ぎた頃からは柿本人麻呂や万葉集に詠まれた和歌を口伝えで教えられた。

母・益世は聡明で、覇気のある人だった。どこで学んだのかと思うほど世界や日本の地理・歴史・外交等に詳しく、折に触れて話をしてくれた。それも、益世の父・本荘堅宏を知れば納得できる気がする。私の祖父に当たる本荘は明治から昭和にかけて、浄土真宗の教師を務めていた。大陸に渡り、布教の傍ら当時のロシアの動向を調査し、陸軍に提供していたという。日露戦争の際には軍から武器を借り、仲間と共に樺太の海馬島(モネロン島)に上陸した。そこにいたロシア人を追い払って島を占拠し、漁場を開いたという武勇伝の人である。その後も、ロシア語や中国語を教える学校を東京に創設する等活躍したと聞いている。本荘は、私が生まれた時には既にこの世になく、大陸で綴った諜報記録等も関東大震災で失われていた。叶うことなら、一度会ってみたかった。私の心の中には、負けず嫌いで好奇心の強い一面がある。これは、母から受け継いだものではないかと思う。一方で私は、国鉄・JRに身を置きながら、いつも組織の常識や価値観には囚われず、自分の関心・自分のやりたいことに拘って生きてきた。この点は、まさに父の影響であろう。尤も、私は父のように自由人に徹してはいないと思っているのだが。


≡日本経済新聞 2015年10月2日付掲載≡


スポンサーサイト

テーマ : 鉄道
ジャンル : 趣味・実用

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR