【極貧に堪える住職たち】(下) 寺の収入だけでは暮らせない若き住職たちの窮乏生活と未来への道

この時代、檀家は簡単に増えるものではない。地方にあっては尚更だろう。そんな中で、檀家数十軒に満たないお寺を先代から受け継いだ若き住職たちは今、どんな苦境にあり、どこに打開策を見い出しているのだろうか?

前回で見た通り、過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事ではないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面でお寺を支えているからに違いない。では、兼職しているお寺はどれくらいなのか?

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表①は、曹洞宗の宗勢調査結果(平成17年)である。宗門機関や他寺院への勤務を含む住職の兼業率は17.4%(1883人)。因みに同調査に依れば、兼職率は年々減っており、30年前の調査と比べると約半分だ。兼務先が無くなっている面もあるかもしれない。また、約3割のお寺が、住職や寺族の個人収入から、寺院会計へ持ち出しを行っている。表②は、日蓮宗の宗勢調査結果(平成24年)で教師を対象に行った質問だが、「寺院以外に兼業」10.1%、「寺院以外を専業」5.2%。合計すると15.3%。但し、同宗では専業に宗門機関や他寺院への勤務を含む為、曹洞宗と同じ基準で見るともう少し増えるかもしれない。この割合は実感として如何だろうか? 実際、「もっと多い」という声もあるかもしれない。兼職率は出ていなかったが、違う視点から見えるものもある。表③は真宗大谷派の教勢調査結果(平成24年)で、主たる寺院収入を多い順に記述する設問で、1番目に上げられた回答率の結果である。12.6%が兼業収入と答えている。兼業収入で寺院護持を担っているのだ。平成21年の浄土真宗本願寺派宗勢調査では、「寺院収入が(住職の)世帯収入に占める割合」では「世帯収入の粗全部が寺院収入」39.1%、44.9%は寺院外収入が上回る。「兼業収入を寺院護持に使っているか」も、半数を超える54.1%が「使っている」と回答。当然、どの宗派でも低収入のお寺ほど兼業の割合は高くなる。兼業兼職している住職たちは今、どのような状況に置かれているのだろうか?




■年収30万円の寺を継いだ娘  熊本県・黄檗宗東林寺
熊本県人吉市。県南部に位置する同市の人口は、昭和30年の約4万8000人をピークに減少傾向にある。現在は約3万4000人で、農村部はやはり高齢化が進む。人吉城跡から約800mのところに建つのが黄檗宗東林寺だ。同寺は、歌人の与謝野鉄幹・晶子夫妻も訪れたことでも知られる古刹だ。現住職の森道恵住職(43)は、3人兄弟姉妹の長女として東林寺に育った。久留米大学を卒業後、OLとして働いていた道恵さんがお寺を継ぐ決心をしたのは10年前。師父である森至道住職が70歳で急逝されたことだった。当時、一回り下の弟はまだ学生。森住職は話す。「私は学生時代、黄檗宗で1週間の研修と筆記試験を受けて教師資格を得ていました。父が生きている間は『いざという時は私が弟の繋ぎ役ね』というのが笑い話でしたが、もう繋ぎではなくなりました」。現実は厳しいものだった。同寺の檀家は15軒。年間収入は30万円だったからだ。今、お寺には森住職と母親が暮らしているが、とても暮らしていけない。東林寺は約340年前、江戸時代初期に天瑞和尚が開いたとされ、往時は末寺27ヵ所を擁する南九州の黄檗宗の本寺だ。だが、明治の廃仏毀釈・西南戦争で大打撃を受ける。戦後は農地解放で寺有地を失い、寺宝の多くが流出した。更に、同寺にとって不運だったのが、先々代の住職がクリスチャンになってしまったこと。本堂でミサを開く等したことから、檀家は離れていった。結局、当時の住職はお寺を追われ、由緒ある東林寺は無住の時代が続き、壇家は更に激減。伽藍はボロボロに荒廃した。昭和40年代、本山からお寺復興の期待をかけて特命住職として派遣されたのが、隣市の同宗寺院の次男だった故・至道住職だった。その時点で、東林寺の檀家は40軒を切っていた。だが、至道住職は敢えて兼職をしなかったという。「父は伊深の正眼僧堂で修行をした人で、『2足の草鞋は履けない』という気質。でも、子供3人を育てていかなければならない。『何かお寺でできることを…』と始めたのが、黄檗宗の伝統“普茶料理”だったのです」。東林寺の普茶料理は当たった。時は、バブルに向かう経済上昇時期。更に、食への関心が高まっていた時代でもあった。口コミで人気が広がった。予約制で1席6000円。九州一円からお客さんが来て、多い時には月に100人も来たというから凄い。普茶料理の収入を得て、至道住職は家族を養い、こつこつとお寺を修復し、復興。そんな父の背中を見ながら道恵さんは育った。だが、伽藍の復興が一通り済み、「次は庭を綺麗にしたい」と話していた矢先に亡くなられた。

森住職は、晋山した最初の2年間は仕事を続けていたので、有髪だった。だが、「やはり住職としてきちんとするなら、修行に行くべきだよ」という周囲の声もあり、森住職は岐阜の臨済宗・黄檗宗の尼僧道場『天衣僧堂』に修行に行く。「1年間だけの修行のつもりだった」と言うが、「とてもそんな中途半端なことはできないと思いました。一応、3年半修行をして戻ってきました」と振り返る。僧堂からお寺に戻った森住職。普茶料理を復活させた。だが、中断時期があったせいか、今のところ、思ったほどの客足は無い。今年に入ってからのお客さんは僅か4人。景気悪化で市外に引っ越す檀家もいた。檀家は15軒に減ってしまったのである。約30万円の年収の内訳は、毎月4軒の月参り(1軒のお布施は3000円ほど)、年に10件あればいいという法事(同1~2万円)、また、お盆の棚経や春秋のお彼岸・成道会等のお布施だ。檀家は1軒8000円の護持会費を負担してくれており、火災保険等はそこから支払われている。墓地の年間管理料も、合わせて2万円ほど入る。ただ、素より歴史あるお寺で、今も境内は3町歩と広い。この為、お盆前はとても寺族だけでは手が回らず、シルバーセンター等に草刈りを頼んでいる。その経費に墓地の管理費を充てている。男性住職なら兼職等もやり易いが、剃髪姿のままでは躊躇してしまうところもある。地域的にも、尼僧さんは当たり前のところでもないという。ついに宗門に、年間10万円の宗費の減額を頼んだ。苦境を助けてくれたのが、修行時代の縁で知り合った岐阜県のお寺だ。岐阜は歴史的にも尼僧さんが多いが、高齢化が進んで無住のお寺が増えているのだ。「岐阜のお寺に来ませんか?」と声をかけてくれた。こうして、月の半分を自坊、半分を岐阜のお寺の手伝いに行くという超遠距離の兼職生活が始まった。岐阜のお寺から戴く月約20万円の収入が、 今の生活を支えている。森住職は悩みの中にある。「他のお寺さんに、『もう東林寺は兼務してもらったら?』と言われています。今のままでは岐阜のお寺にも、東林寺にもプラスになっていないような気がします。ただ、娘が言うのも何だけど、『父は子供を育てながら、荒れ寺をよくここまで復興してきたな』と思うのです。今はカツカツで、兎に角資金不足だけれど、少しでも人に来て頂けるお寺にしたいという思いも、またあるのです」

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■檀家10軒のお寺を継ぐことに  新潟県・真宗大谷派林正寺
「行く行くは専業したいという思いもあります。しかし、今の林正寺の収入だけでは確実に生活保護でしょう。何より、このままではとても次の代に渡すことはできません」。そうキッパリ話すのは、新潟市にある真宗大谷派林正寺の橘勇人住職(40)だ。林正寺は新潟市の郊外、水田に囲まれた住宅地に建つ。戦国時代の永正17(1520)年に開かれ、初代住職は蓮如上人の孫という由緒あるお寺だ。ただ、門徒は少なく10軒のみ。昭和25(1950)年に建てられた本堂を始め、伽藍の痛みはかなり激しい。歴代の住職は学校の先生等を兼職しながら、お寺を支えてきた。先代の住職は橘住職の父親の兄、つまり叔父が務めていた。だが、先代の子息はお寺を継がず、県外に出て別の職に就いた。先代はお寺の外に住み、2年前に亡くなった橘住職の祖母が実質、お寺を切り盛りしていた。だが、「先代はかなり疲れていたようです」と橘住職。祖母が亡くなる1年前、先代から突然「継いでほしい」と言い渡されたのが、新潟市役所に勤めていた橘師だった。橘住職は1人っ子。実家は、林正寺から500mほど離れたところにある。父は自動車関連の会社を経営しており、在家の子として育った。高校卒業後、東京の桜美林大学に進学。卒業後はUターンして故郷に戻り、新潟市役所に勤務。僧侶になったのは親戚の縁に依る。「親戚の別のお寺から、『お盆の忙しい時に手伝いに来てほしい』と頼まれたのです。父親は得度だけで、資格は無かった。私は昔からお寺や神社に行くのが好きだったので、『いいですよ』と」。社会人3~4年目のことだった。その後、新潟の三条地区に開かれた真宗学院に3年間、毎週土曜日に通って教師資格を取得したのだ。既に教師資格を得ており、しかも公務員だということに安心感もあったのか。先代から林正寺を託されたのだ。「市役所の上司からは、『あまり目立ったことをしないように』と釘を刺されました。『住職と公務員という立場上、振る舞いに気をつけなさい』という話でした」。ともあれ、以降、一家総出で林正寺の復興に取り組むことになったのである。

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林正寺の年間収入は約150万円。門徒は10軒だが、手次寺が遠方にある門徒から頼まれる月参り等も大きい。毎月40軒の月参りのお布施は1軒2000円ほど。法事が年に6~7件で、お布施は3~5万円。葬儀が3件ほどだ。通夜・葬儀で、お布施は18万円ほど。身内だけの小さな葬式の場合は12~13万円という。その他に、墓地の管理料(1万円)が入る。年間収入に護持会費も含まれている。では、どのようにお寺を支えているのか? 先ず、お寺の収入で負担するのが約20万円の宗派賦課金。それに火災保険7万円・ガソリン代。“給料”も出している。現在、橘住職の父親も自営業の仕事をしながら、副住職としてお寺を手伝ってくれているので、月に2万5000円。橘住職は1万5000円、母親が5000円だ。年間トータルすると、50万円強が人件費となる。残りは100万円近く。しかし、それを自由に使えるという訳ではない。先述の通り、林正寺の伽藍は相当傷んでいるのだ。「お寺に寄付という形で、昨年は駐車場を直すのに250万円、一昨年は100万円を寄付しました。周りの人から『結構、お金あるんじゃないの?』なんて言われますが、とんでもない。それだけ切り詰めてやっているのです」。けれど、橘住職の本当の悩みは別のところにあった。伽藍が荒れ、突然の住職交代もそれなりの事情があったようだ。「殆ど引き継ぎが無く、私もお寺のやり方が全くわからなかった。地元の門徒も、寺族じゃない者が継ぐことになったので戸惑われたのか、何をやるにしても批判をしてきました。お互いに付き合い方がわからないという状態で、運営に行き詰まってしまったのです」。橘住職は自分なりに模索することにした。先輩住職たちの会に入り、お寺のあり方を考えた。宗派を超えた僧侶の仲間もできた。更に、東北大学大学院文学研究科実践宗教学寄附講座の臨床宗教師研修を受けた。目下、自坊では毎月第3日曜日に“お寺カフェ”として、本堂を寄り合い所に開放。お茶を出し、健康体操をする等のユニークな活動をしている。「お金が無いので、できるだけ費用のかからない取り組みをしています。10人くらい来て下さいます」と笑う。花まつり等の行事にも積極的だ。団塊世代を視野に入れて、境内では樹木葬も企画中。

しかし、公務員との兼職の悩みも大きい。「兼職していると、葬儀も『ちょっと待って下さい』と言わなければならないのが申し訳ない。臨床宗教師も折角受講したのに、名ばかりでお手伝いにもいけない。でも、公務員を続けなければ生活はできない。『せめて、お寺の収入は200万円は欲しいね』と父とよく話しています」。ただ、「兼職しているからこそ、見えるものもある」と感じている。特に実感するのが葬儀だ。近年、新潟市内でも“兄弟のみ”で済ませる家もある。「この前も、近くの団地の葬義に行った時に兄弟しか来ておらず、家の前にB4の“忌中”の紙が張り出されていただけでした。団地で関係が疎遠なのか、近所の人が2~3人集まっただけでした。『寂しいものだな』と思いました。ただ、私は正直、『時代の変化はしょうがないかな』と思うのです。2年前、祖母の葬儀で喪主を務めましたが、本当に後処理が大変でした。大勢の人を呼ぶと香典収入もあるけれど、それだけじゃない。『勤めながらでは疲れるだろうな』と感じました。僧侶の感覚と社会の感覚は違う。勤め人の感覚を大事にしながら、お寺を支えたい。自分の代で林正寺を廃寺にしたくありません」

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■農協に勤めて漁港寺院を継ぐ  千葉県・浄土真宗本願寺派真光寺
「お客さんから、『坊主丸儲けだもんな。農協なんか勤めなくても食べていけるだろ?』とよく言われました。『いや、食べていけないから働いているんですよ』と説明すると納得されました」。そう話すのは、房総半島の南東部、千葉県勝浦市鵜原地区にある浄土真宗本願寺派真光寺の正木信明住職(48)だ。千葉県いすみ市の『JAいすみ』共済部普及課課長でもある。鵜原地区は、東京から電車で約2時間。山を背に、海が間近に迫る小さな漁港の町だ。リアス式海岸と白い砂浜が美しい海岸は“日本の渚”100選にも選ばれ、夏には海水浴客で賑わう。地区内には2ヵ寺あり、その1つが真光寺。今から約430年前、和歌山は紀州から船に乗ってやって来た僧侶と門徒9人が開いたお寺だ。ただ、昨今は地域の状況にも変化がある。「地元は約230世帯ありますが、人口は減っています。若い人たちの働き口が無いからです。千葉市とかに出て働く人が多い。定年退職してから戻って来る人もいますが、出て行った先で家を建てる方もいる。おじいちゃん・おばあちゃんが生きている内は地元に帰る人も、亡くなったらもう帰ってきません」。近隣寺院の住職や副住職は兼職している人が大半というが、真光寺も例外ではない。同寺の門徒は50軒。年間収入は約100万円。内訳は、年に1~2件の葬儀(お布施は約30万円)、年5~6回の法事(同3~5万円)。主な年中行事は、報恩講・春秋の彼岸・永代経法要・お盆参り等だ。葬儀等のお布施は住職が差配できるが、それ以外はお寺の会計に入れる。が、お寺からの給料は無い。門徒講に依る護持会収入もある。1軒当たり年間8000円だが、賦課金と年間20万円近い火災保険で消えていく。お寺には母親の先代住職夫人、正木住職と奥さん、小学生の娘さんの4人で暮らす。お葬式の布施収入があったとしても、それだけでは生活できない。正木住職が農協勤めで得る給料と、奥さんが実家の家業の手伝いで得る給料が頼りだ。実際、衣や細々したお寺の備品に関しては、持ち出しが殆どだという。

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「3年前に亡くなった私の父も、兼職しながらお寺と家族を支えていました。最初は近くの火薬工場で働いていましたが、私が小学2年生の時に、その会社が福島の会社に一本化されてしまった。でも、お寺があるので一緒に行く訳にはいかない。父は境内に機械を置いて、内職のような形で工場の注文を受けて、プラスチック製品を作っていました。漁師のようなこともしていましたね。母は保育園の保母をして家計を支えていました」。そんな両親の姿を見ていたこともあり、「生まれた瞬間から、有無を言わさず自分もそうなることが決まっていた」と話す正木住職。「早く働かなければ…」という思いから高校卒業後、東京の中央仏教学院で3年間学んだ後は地元に戻り、農協に就職した。就職した当初は、酪農家に豚や牛の飼料を運んだり、注文を受けたり、農家に農薬を届けたりする部門で経験を積んだ。現在は先述の通り、共済部門を担当する。平日は朝6時に勤行、7時半にはお寺を出て農協へ。担当の共済は農協の主力部門でもあり、気が抜けない。部下の相談に乗り、様々な課題に対応していく。夜8時頃にお寺に戻る。ビールを飲んで、漸くほっとできるひと時だ。翌朝、また仕事。「休みの日は草刈りで終わる。新しいことを色々やりたいけれど、勤めていると時間を取るのが本当に難しい。『平日仕事をやっていなかったら、お寺でもっと色んな準備や企画ができるかな』と思うこともあります」と正木住職。一方で、「農協の仕事が大きなプラスになっている」とも実感する。地元出身だから、住職であることは誰もが知っている。「農協職員で僧侶だからこそ、疑問や意見を遠慮なくぶつけてくれる。世間の人がお坊さんをどう見ているのかがわかる。労働組合の委員長も3年務め、交渉力も付きました。育ててもらった」と笑う。先頃、真光寺は本堂の修復と客殿の新築を終えた。門徒1軒当たりの寄付は100万円と多額だが、実は20年前から「何れは修復が必要になる」と毎月3000円ずつの積み立てをしていたのだ。今年5月、住職継職奉告法要と本堂客殿の落成慶讃法要を行った。大勢の人が集まり、「おめでとう」と口々に言ってくれた。いつもは静かな町を、稚児行列が賑やかに練り歩いた。正木住職は話す。「地域の子供たちに、この法要を見せることができて本当によかった。小さなお寺でも纏まったらできるということを見せられたのですから。だからこそ、ここからがスタートなんだと思う。お寺は何の為にあるのか――それを、これからの子供や若い世代に伝えていきたい」

               ◇

以上、2回に亘って低収入の寺院住職の声をご紹介した。懸命の姿は、法灯を伝えるための“今”でもある。だからこそ、そこに生じる課題が共有されなければ、日本のお寺の未来は無いだろう。


キャプチャ  2015年8月号掲載


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テーマ : 貧困問題
ジャンル : 政治・経済

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