【ヒーローたちの戦い】(下) 日本人横綱は「欲しい」が「必要ではない」

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正直に先に書くと、この原稿は「“日本人横綱は必要か”というテーマで書いてほしい」と言われたが、私は大相撲ファンとして、このテーマに興味が無い。日本人横綱がいなくなって、もう12年も経っている。私が大相撲を好きになってから二十数年も経つけれど、その半分以上の期間に亘って日本人横綱はいないのである。それでも私は大相撲に興味を失わず見続けているし、抑々最近は世間で“相撲女子(=スージョ)”等という言葉まで誕生し(この単語はどうかと思うが)、大相撲全体の人気は上がっている。つまり、「日本人横綱は、いたほうが盛り上がるかもしれないが、いなくても人気が復活してしまったし、この状況のせいで大相撲が崩壊している訳でもない。結果として、必要ではない」――冒頭の問いに対しては、この結論以外に無いのである。“日本人横綱必要論”の話をしたがるのは、大相撲を大鵬時代辺りから見てきている古参のファンか、若しくは根本的には大相撲に興味の無い人か、どちらかである。前者は、まあ仕方がないとも言える。高見山に始まって、小錦・曙・武蔵丸と来て、モンゴル勢全盛の今の時代に至り、自分の見てきた“古き良き日本人だけの大相撲”を侵されたような気分になるのだろう。現代にあっては排外主義的で遅れた考え方と言わざるを得ないが、心情的には理解できる。ただ、後者の“大相撲に興味が無い人”が厄介である。八百長報道があれば報道の上辺だけを掘って「けしからん」と言い、今は「ニュースで何となく見知った遠藤と逸ノ城だけ名前を覚えている」というような人たち。彼らみたいなマジョリティが、浅い知識で「今はモンゴル人しか強くないんでしょ? 日本人が強くないと面白くないよ」等と知ったような口調で話すのが、大方の世論となってしまうのである。

「必要かどうか?」ではなく、仮に「日本人横綱が欲しいか?」という問いだとしたら、私としては欲しい。自分は日本人だからオリンピックでは基本的に日本人を応援するし、やはり大相撲でもどちらかといえば日本人を応援してしまう。とは言え、「大相撲は国技である」「大相撲は日本の伝統文化である」という背景を過剰に意識すると、日本人を応援する気持ちが偶に「日本人以外の活躍は認めない」とする考えに転じそうになることがある。世論で言う“日本人横綱必要論”は、少し掘り返せば直ぐに単純な排外主義にぶち当たるように思う。単なる希望・欲望を“必要”という言い方で、如何にも正義であるかのようにする愚かしさ。危険な摩り替えである。そして、必死で心も“日本人”になろうとする外国出身の力士たちの気持ちに対して失礼である。しかし残念ながら、世論(特に大相撲に興味の無い人たち)の大勢は「日本人横綱は必要」なのであろう。その考えはあまり良くないものだとした上で、取り敢えず現時点で日本人横綱誕生の可能性について探ってみようと思う。この手の話題であれば、先ず若手の頃から期待をかけられ続けてきた稀勢の里について語るところだが、彼も昭和61年生まれなのでもう29歳。横綱で言えば朝青龍や若乃花(3代)が引退した年齢と同じで、ベテランの域と言ってもよい。他の日本人大関である琴奨菊や豪栄道も全員が昭和生まれで、若手とは言えない。だからいっそのこと、ここでは昭和生まれに見切りをつけ、平成生まれの日本人力士のみについて考えることにする。2015年秋場所現在、幕内に在位する平成生まれの日本人力士を列挙すると、高安・遠藤・琴勇輝・千代鳳・大栄翔・英乃海。平成生まれは現在26歳以下だが、このくらいの年齢の日本人の幕内力士がたった6名というのは、あまりに若手不足で淋しい。因みに、外国出身力士を含めても平成生まれの幕内力士はたった9名(幕内42人中)であり、ここのところ若手が育つのは遅い傾向にある。

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【ヒーローたちの戦い】(上) “包囲網”を乗り越えろ! 錦織圭に今必要なもの

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2014年の全米オープンテニスで準優勝し、同年11月には、年間成績の上位8人で争うシーズン最終戦のATPワールドツアーファイナルズにアジア男子として初めてシングルスで出場し、4強入りした。「愈々、次は4大大会初制覇か」と大きな期待を背負って、錦織圭の2015年シーズンは幕を開けた。最初の4大大会である全豪オープンはベスト8。準々決勝で前年覇者のスタン・バブリンカ(スイス)に敗れた。次の4大大会である全仏オープンも8強止まり。強風が吹く悪コンディションにも邪魔され、地元フランスのジョーウィルフリード・ツォンガに惜敗した。ウィンブルドンでは、前哨戦で痛めた左脹脛が回復せず、2回戦棄権の結果に終わる。そして、シーズン最後の4大大会である全米オープンは、“伏兵”ブノワ・ ペア(フランス)にまさかの1回戦負け。相手の変則的なテニスにリズムを崩され、マッチポイントを握りながら逆転を許した。メジャー初優勝の期待は2016年以降に持ち越しとなった。4大大会で2度の8強入り、メンフィス(アメリカ)とバルセロナ(スペイン)で連覇を飾る等、ツアー3勝の成績は十分合格点と言える。年間を通して世界ランキング10位以内を保ったことは特筆すべきだろう。しかし、2015年に世論調査機関の『中央調査社』が発表した『最も好きなスポーツ選手』に初めて選ばれる等、国民的ヒーローになりつつある錦織には、より大きな“勲章”が期待されている。世界の頂点を極める為に、今の課題はどこにあるのか?

錦織は2014年シーズン、ネットに近い攻撃的なポジションからの“速攻”でテニス界を驚かせた。速い攻めで相手から時間を奪い、守備を崩す。そうすることで決定打のチャンスが増えるのだ。2014年全米の準決勝で世界1位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)を下したのも、その攻めが相手の守備網を切り裂いたからだ。178㎝と小兵の錦織が、パワーテニスが優勢の男子ツアーを制する為にコーチのマイケル・チャン等と編み出した戦術である。錦織の父親で、コーチやトレーナー等からなる“チーム錦織”の舵取り役を務める清志氏は、その攻め方を“未来が見えるテニス”と表現した。これまで誰も試みることが無かった超速攻型のテニスであり、錦織がこの戦術で自ら未来を切り開くとの期待も込められているのだろう。全米準優勝でツアーに旋風を巻き起こした錦織は、必然的にライバルたちにマークされ、研究対象となった。弱点とされるセカンドサーブを攻めるのは対戦相手の常套手段となり、武器のサービスリターンを封じる為に対戦相手はサーブを工夫した。そして、錦織と同じように速い攻めを取り入れる選手も増えている。「男子テニス界全体が速い展開を目指している」というのは清志氏の分析。様子を見ながらの打ち合いを短縮し、ラリーの2本目・3本目の早い段階から仕掛けていく。しかも、コートの後陣深く守るのではなく、ポジションを前にして速攻を挑む――謂わば“錦織スタイル”の速攻が浸透し始めているというのだ。「速い攻めを取り入れる選手が目立つ」という見方は、清志氏だけのものではない。どちらかと言えば守備型で仕掛けの遅いラファエル・ナダル(スペイン)の不振は、「男子ツアーのトレンドに乗り遅れたから」という見方は既に一般的なものになりつつある。包囲網が張り巡らされ、磨き上げた戦術が一般化していく中で、錦織はどう進むべきなのか。清志氏は、「今の方向性を貫く」と断言する。超速攻はリスクを伴う。より堅実な戦いを目指すなら、チャンスボールをじっくり待ち、攻められる時だけ攻める策を取るべきだろう。速攻は一歩間違えば自滅に繋がり、一本調子になって相手に対応されてしまう恐れもある。

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【インタビュー・明日を語る2016】(06) 熱戦を東京で見せる、リオ大会はメダル目標――車いすテニス選手 上地結衣氏

4年に1度のスポーツの祭典、オリンピック・パラリンピックのリオデジャネイロ大会が今年8~9月に行われる。4年後の東京大会を見据えて、今回活躍が期待される車いすテニス女子の上地結衣選手(エイベックス)が、障害者アスリートと社会の姿について語った。 (聞き手/運動部 清水暢和)

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車椅子は“介助されている”というイメージがあって、子供の頃から乗るのが嫌でした。「(生まれつき足が不自由でも)自分には車椅子は必要ない」とリハビリを頑張っていました。小さい頃から体を動かすのが大好きで、一般の人と同じように水泳したり、卓球やサッカーをやったり。車いすスポーツに出会ったのは兵庫県明石市立大久保小学校4年生の頃。「何故、自分は友だちと同じように歩けないの?」と気持ちが内向きになりかけた時期で、母親が車いすバスケットボールを探してくれました。その後、4つ年上の姉がソフトテニスを始めた為、車いすテニスを始めました。ただ、姉と一緒の事をしたかったので車椅子に乗りたくなくて、悔しかったですね。特別扱いが嫌でした。小・中学校でも「何で上地のクラスは階段を上らんでいいんよ? 楽やんなあ」とか言われるのが嫌で、1階の教室を(特別に)使う話を断わりました。早めに登校し、ゆっくりと自分の足で階段を上り、2階・3階の教室に行きました。中学3年生で初の海外遠征のイギリスに行く際も、母親帯同の話を断わり、「海外に行けるんや」と喜んで1人で行きました。障害者として見ると、以前より住み易いと感じます。町で「お手伝いしましょうか?」と、気軽に声をかけて下さる方が増えました。ただ、私は駅で駅員さんに声をかけられても、待っている間に自分で行けちゃうので、小さな段差なら自分で乗り越えます。有人も特別視しないで、自然に接してくれるのがいい。(テーマパーク等で)車椅子を押してくれる友だちに、「介助者だから、列に並ばなくても入場できるから、押してくれとんのやろ?」とか気軽に言ってしまいます(笑)。

障害者でも、私のように先天的な人と、事故等で後天的に障害を負った人とは違うと思います。私は“できていた時代”が無いので、できないことをそれほど苦に感じません。後天的な人はできていた時代がある分、凄く労力も気力も使って、尊敬できますね。長嶋茂雄さんは、脳梗塞からのリハビリを続けていると聞きます。できていたことを取り戻すのは本当に大変で、頑張ってほしいです。明石商業高校3年生で迎えた前回のロンドンパラリンピックを前に、一度は大会後の引退を決めました。海外の仕事等に興味があったからですが、大会を1度経験し、引退を止めました。結果はシングルス・ダブルス共にベスト8でしたが、応援が本当に凄かった。「もう一度、日本代表として戦いたい。皆の応援をしたい」という気持ちが出てきたのです。それ以来、リオ大会でメダルを取ることが目標です。大阪府内の練習コートまで、自分で車を運転して通っています。車椅子も自分で運んでいます。大会や遠征以外の時は、週に5~6日はラケットを振る日々。専属コーチと相談し、考えながら練習しています。自分の武器は、ここぞという時の負けん気の強さと、要所要所での思い切った判断力かな。プレッシャーのかかった場面でも、「こうしよう」と迷わず判断できるところ。ただ、実生活は結構迷うタイプで、レストランでメニューを見ても直ぐには注文を決められない(笑)。今は、現役プレイヤーだからこそできる活動を大切にしたい思いがあり、講演会やテニス教室もやらせて頂いています。障害者の方はスポーツでも芸術でも、何か好きなことを見つけてほしい。本当に世界が広がりますよ。(2020年の)東京大会も楽しみです。日本の皆に、自分が競技を楽しんでいる姿を見てもらい、(障害者への)理解を深めてもらいたい。海外では、車椅子の人は目が見えるから、視覚障害者のお手伝いをすることもあるんです。4年後の日本が突然、そうなるのは難しい。でも、東京大会を1つの目標として、障害者がもっともっと生活し易い環境になっていくことを期待します。

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【インタビュー・明日を語る2016】(05) オリンピックで国民に生きる喜びを、日の丸の重みを力に変えて――読売巨人軍終身名誉監督 長嶋茂雄氏

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オリンピックは、アスリートにとって4年に1度の最高の舞台。2020年に、また東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。あの言葉にならない興奮を半世紀ぶりに再び味わうことができるのは、大変な喜びがありますよ。昨年、東京オリンピックに向けた準備段階で、新国立競技場の建設計画やエンプレムの選定等で世間を騒がせてしまったことがありました。国民の1人として残念な思いでしたが、あと1年・2年と経てば盛り上がりも大きくなっていく筈。1964年の東京オリンピックでもそうでした。日本全体がオリンピックからパワーを貰い、大きく発展していきました。2回目の東京オリンピックは、前回とは違う何かが出てくるような気がしています。あと4年、日本がどう変わっていくか本当に楽しみですね。今年は、8月にリオデジャネイロオリンピックが開催されます。特に期待しているのは、体操の内村航平選手。体操は団体も強くなりましたね。水泳なんかも、若くていい選手が沢山出てきています。リオで活躍すれば、東京オリンピックにいい形で繋げることができます。若い選手たちにとっては、いつも以上に大きな意味を持つ大会になるでしょうね。パラリンピックも楽しみにしています。車いすテニスの国枝慎吾選手や上地結衣選手は世界トップの実力があり、金メダルが期待できます。上地選手は未だ21歳なので、東京パラリンピックでも十分に活躍できると思います。障害を抱えながらスポーツに打ち込み、世界レベルの競技で結果を出すのは大変な苦労があるでしょうね。私も2004年に脳梗塞で倒れてから12年、リハビリを続けてきました。散歩もただ歩くのではなく、タイムを計って少しでも速く歩けるように。ウェートトレーニングも、自分自身に負荷をかけながらね。中々できない時もあるけど、落ち込まないように、もう、前へ前へという強い気持ちで。野球と同じように、「少しでも上手くなりたい、前へ行きたい」という思いでやっています。オリンピックもパラリンピックも、選手の皆さんは大きな目標に向かって日々、努力されています。本番でメダルを取ってくれれば、国民皆に勇気や元気は素より、生きる喜びを感じてもらうことができ、国全体に大きな刺激を与えることができます。それもスポーツの持つ力であり、素晴らしさだと思いますね。

私が初めてオリンピックの魅力を知ったのは、1964年の東京オリンピックでした。報知新聞の『ON五輪を行く』という企画で、ワンちゃん(『ソフトバンクホークス』の王貞治会長)と2人で様々な競技を取材しました。陸上100mのボブ・へイズ(アメリカ)は、「何て速い男なんだろう」と驚きました。男子マラソンのアベベ・ビキラ(エチオピア)は、走り終わっても平気な顔で体操したりしてね。スポーツの凄さ、オリンピックの素晴らしさに毎日、感動したものです。大会コンパニオンとして各国要人のおもてなしをしていた、妻の亜希子と出会ったのも東京オリンピック。公私共に良い思い出ばかりですね。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、野球・ソフトボールのオリンピック復帰が有力になっています。2008年の北京オリンピックを最後に、野球がオリンピック競技から外されてしまったのは、本当に残念でした。「何としてもオリンピックに戻ろう」と、関係者の皆さんが一丸となって運動しまして。昨年9月に追加競技として提案されることが決まった時は、そりゃあもう、(左手を挙げて)ガーッと喜びました。国際大会は他にも色々ありますが、オリンピックはやはり特別ですからね。1984年ロサンゼルスオリンピック、1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックも、現地で生で見る機会に恵まれました。長年、応援する側だった私が、一転して参加する立場になったのが、2004年アテネオリンピックでした。オールプロ選手で編成した日本代表の監督を務めることになりました。日の丸の重みは想像以上でしたね。2003年11月に札幌で開かれたアジア予選では、私も選手諸君も、国歌斉唱の時に皆で大きな声で君が代を歌いました。戦いが始まると、味わったことの無いプレッシャーを受けました。巨人の監督の時とは全く違う感覚がありました。脳梗塞を発症しても、何とかアテネに行こうと必死でリハビリに取り組みました。しかし、最後はドクターストップがかかって。選手は一生懸命やっているのに、監督の自分が行けなくなって無念でなりませんでした。東京オリンピック・パラリンピックが今から楽しみです。沢山の日の丸を掲げて、金メダルを取ってほしいですね。 (聞き手/運動部 山脇幸二)


≡読売新聞 2016年1月5日付掲載≡


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【2016年の15大問題】(08) 東京オリンピック、国立競技場新計画も懸案だらけ

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「プロジェクトの難度に求められる適切な組織体制を整備できなかった」――2015年9月24日、白紙撤回された新国立競技場の旧計画の問題点について、文部科学省の第三者委員会は検証報告書を纏めた。そこで指摘されたのは、責任者不在のまま、慣れ合いで進んだ組織体制の問題だ。報告書は、「すべての重要な決定は、【中略】『やむをえない』という“空気”を醸成することで行われていた」と断じている。東京都の舛添要一知事は以前、「誰も責任を取らない体制」「(日本を戦争に導いた)大日本帝国陸軍を彷彿とさせる」と批判したが、一連の問題を取材し続けてきた私も全く同じ意見である。新国立建設の事業主体は、独立行政法人『日本スポーツ振興センター(JSC)』である。そのJSCは計画立案に当たり、諮問機関として『国立競技場将来構想有識者会議』を設置した。メンバーには森喜朗元首相や建築家の安藤忠雄氏ら、スポーツ・文化界の重鎮が揃った。2012年3月に始まった検討は、議事録に依ると、宛ら陳情合戦だった。「開閉式屋根はマスト」「収容人数は8万人がスタートライン」「ホスピタリティー機能も充実を」…。委員からは、あれもこれもと要望が飛び交う。中には、「ブロードウェイを超える地域開発になれば」といった発言もあった。止めどない要望を、どう形にするのか? 下部組織として設けられた建築家らに依る作業部会では、「全部単純に加算していくと、規模的に不可能になる」と諌める声すら上がったが、有識者会議は128項目に及んだ全てを取り入れ、JSCも追認した。

こうして、ロンドンオリンピックの主会場の3倍規模という、超巨大豪華スタジアムの原型が完成した。規模はその後、約2割縮小して延べ床面積約22万㎡になったが、オリンピック史上トップ級に変わりはない。そして、この巨大さこそ、最終的に2520億円まで高騰した建設費の要因である。ザハ・ハディド氏のデザインばかりが責められたが、2520億円のうち、ザハ氏の外観デザインや巨大キールアーチを含む“屋根工区”は950億円。6割以上の1570億円は、残りの“スタンド工区”だ。大きければその分、建設費も完成後の維持費も増す。しかもJSCは、大量の要望を整理せずに丸呑みした為、彼方此方で機能上の矛盾が生じた。例えば開閉式屋根は、周囲への音漏れを防ぐ装置として、オリンピック後にコンサートを数多く開く目的で設置を決めた。しかし、日光や通風を阻害し、サッカーやラグビーに必須の芝を傷めてしまう。JSCは年2回、芝の張り替えを決め、年3億円以上の追加費用が生じた。「スタジアムかコンサートホールかわからない」と揶揄された所以だ。こうした経緯が示すように、本来は諮問機関に過ぎない有識者会議はその役割を超え、事実上の意思決定機関となっていた。主体である筈のJSCは、ただ追従するばかり。更に問題なのは、この有識者会議は飽く迄も“諮問機関”だから、責任を問われることはない。JSCを監督する立場の文科省も任せ切りだった。これが、集団的無責任体制の一端だ。実は、この計画に対しては建築家の槇文彦氏を中心に、比較的早くから疑問の声が上がっていた。「規模の巨大さは周辺の景観を壊し、建設費の肥大化に繋がる」と警告を発したが、JSC等は「今更変更できない」と顧みなかった。責任も権限も誰にあるのかよくわからないまま突っ走り、しかも「決まったことだから…」と途中で止められない。だから“大日本帝国陸軍”なのだ。

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日本で唯一! 愛媛県伊予市にある庫裡ダーツバーが話題に

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店内に並んだ日本酒・焼酎・ウイスキー。そして、ダーツを楽しむ人々。カウンターの中では、マスターがカクテルを作る――。愛媛県伊予市灘町のダーツバー『ドラゴンボウズ』は、郡中港の入り江が見える人気スポットだ。が、実はここはお寺。浄土真宗本願寺派光明寺の庫裡の1階。マスターは何と、同寺の坪内一乘住職(38)なのだ。「バーを始めたのは7年前。毎日夕方6時から深夜12時まで開けています」と坪内住職。常連の檀家は、「ここのご住職にはすんなり話せる。独り身で葬式とか墓とか心配だけど、お寺だと本音で聞けないじゃないですか」と言う。光明寺は約400年前、松山城主の加藤嘉明の弟・唯明に依る創建で、開基は正善法師。祖父の後を継ぎ、坪内住職は平成15(2003)年、24歳で晋山した。「若者が地元のお寺で遊ぶ場所があれば、地域の経済も潤うと考えました」。料理の心得もあり、一大決心して始めると、訪れる若者が挨拶1つせず、黙って店の椅子に座る。そこで、住職が考えたのがダーツだった。「ダーツは夜遊びの印象ですが、本来は礼儀を重んじるスポーツ。遊びで挨拶を学べると思いました」。これが大成功。若者たちは、ダーツ効果で積極的に挨拶をするようになった。しかも、老若関係無く仲良くできるのがお酒とダーツ。檀家や近在の人以外に、タンカーの船員や海軍、そして海外からも実に幅広く、一晩に平均10組は訪れる。坪内住職は近々、松山市にも新店を出す予定だ。新店は宗派問わず、カウンターに多くの僧侶を誘い、お客さんも交えて僧侶同士の交流や語らいの場にもしていきたいという。恐らく日本で唯一、庫裡のダーツバーが布教の実を挙げつつある。


キャプチャ  2015年11月号掲載


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2015年の錦織圭は伸び悩んだのか?――怪我や全米オープンの初戦敗退でも、世界8位の凄さを知るべし

20151128 18
錦織圭選手の2015年シーズンが終了した。昨年は17位で始まり、右肩上がりに5位で終わった。今年は5位で始まり、短い期間4位を記録したものの、8位で終わった。これを、世間のスポーツ報道は恐らく、「伸び悩み」「停滞」「後退」と言うのだろう。実態はどうなのか? ランキングや個別トーナメントの結果は、自分の成績と相手の成績の両方で見る必要がある。錦織は停滞していたのか? 錦織自身の成績を昨年比で見る。ランキング算出は複雑な計算が含まれるので、ここでは“出場した全個人戦での獲得ポイントの合計”で比較する。5135(2014年)が4325(2015年)と810ポイント減となった。年間ツアー4勝(2014年)が3勝(2015年)になったが、失ったのは250ポイント(クアラルンプール大会)であり、メンフィス大会とバルセロナ大会は連覇し、2014年の東京大会(楽天ジャパンオープン)を失った分はワシントンDC大会で獲得している。ランキングポイントも賞金も別格に大きい4大大会は、1~2月の全豪ベスト16がベスト8に、5~6月の全仏1回戦がベスト8に、6~7月のウインブルドン(全英)ベスト16が2回戦に、8~9月の全米準優勝が1回戦に…と其々入れ替わって、4大大会の合計は差し引き795ポイント減となる。全米オープンだけ見れば1190ポイント減なので、残りの3大会で395ポイントの増だ。そして、上記以外のランキング対象大会は今年12大会、昨年比2大会増で235ポイント増、しかも2年連続出場したツアー最終戦(ロンドン)で昨年比200ポイント減なので、それ以外の11試合で435ポイント増、しかも上記の通り、ツアー優勝も4大大会も含まれていない。これは、各大会を昨年と全く遜色なく勝ち上がったことを意味する数字である。特に、昨年出場していないアカプルコ大会準優勝・モントリオール大会ベスト4がプラス要因になっている。技術面では、昨年比で唯一変わったのがサーブのレベルアップだ。年間でサービスエース(即得点)が9本増(286→297)、ダブルフォルト(即失点)が31本減(186→157)、それで総試合数が2試合しか増えていないので、全体の半分を占めるサービスゲームの展開がより楽になった筈だ。但し、そのサービスゲームのキープ率も含めて、他の数値は驚くほど変わっていない。伸びていないのでなく、技術的に完成したと見る。マイケル・チャンコーチの仕事は、完成した技術のまま個々のポイントをもっと取れるようにすることとなる。

怪我は、相変わらず錦織について回っている。今年は棄権を含めて4試合(ハーレー大会・全英オープン・モントリオール大会・パリインドア大会)を負傷で棒に振り、シンシナティ大会を欠場している。脹脛・臀部・肩・腰から脇腹と、新たな箇所も痛めた。2014年も、春先に股関節を痛めて3試合(デルレイビーチ・インディアンンウェルズ・マイアミの各大会)を棒に振り、夏に足指の軽い手術でシンシナティ大会を欠場して、全米オープン準優勝は手術後のぶっつけ本番であった。ランキングを争っている相手選手たちはどうだったか。今年のツアー最終戦の出場者(上位8人)で間もなく26歳の錦織は最年少、昨年出場した同世代のチリッチ選手(クロアチア)とラオニッチ選手(カナダ)は落選し、ディミトロフ選手(ブルガリア)やゴフィン選手(ベルギー)等はまだ届かず、次世代のトミック選手(オーストラリア)、キルギオス選手(オーストラリア)、ティエム選手(オーストリア)等もまだ姿は見えない。一方、嘗て錦織が何度も倒しながら追い越してきた年上のベルディッヒ選手(チェコ)やフェレール選手(スペイン)が上位に復帰すると共に、1年前からの怪我の癒えたマレー選手(イギリス)とナダル選手(スペイン)が、“バブリンカ選手(スイス)も含めたビッグ5”の定位置に戻ってきた中での錦織の8位である。今年、錦織が自分より上のランキングの選手に勝ったのは、ツアー最終戦でのベルディッヒ(6位)戦1試合だけで、上記“ビッグ5”を続けて倒すような画期的な戦績は何も残せなかった。しかし、毎週変動するランキングの中で、結果として4位~8位の幅だけで1年間を戦い切った。恐るべき安定性と言わざるを得ない。2年間の流れを追えば、2014年後半の勢いを2015年前半もそのまま維持し、後半が稍昨年比で見映えがしなかったということを以て、「錦織の低迷。全米オープンくらい何故優勝できない? 東京まで負けちゃってどうしたの?」といったスポーツ報道一般の印象なのだろう。錦織本人も、ベルディッヒ戦で漸く「自分のテニスを取り戻していくきっかけになる」と言っており、恐らく、2015年を会心の1年とは総括しないだろう。

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日本と相撲が新しい人生をくれた――大島勝(元関脇・旭天鵬)インタビュー

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9月13日から、両国国技館で大相撲秋場所が始まっています。7月の名古屋場所まで土俵に上がって相撲を取っていた僕としては、今、相撲協会のジャンパーを着て花道の奥から相撲を見つめているという自分自身が、ちょっと信じられない感じがします。とは言え、秋場所が始まるまでは「現役を引退した」という実感がそれほど湧かなかったんですよね。というのも、(所属する友綱)部屋では今も現役時代と同しように朝、まわしを締めて土俵に降りて、若い衆に胸を出していたからです。ただ、場所前には本場所に向けての体作りをしていたのをしなくなったことと、周囲の人たちから「(旭)天鵬関」じゃなくて「親方」と呼ばれるようになったのは、変化だったと思う。秋場所が始まって、協会の業務の為、国技館にはこれまでよりも早い時間に入っていますが、もう支度部屋には行かないし、化粧まわしを巻いて土俵入りをすることもない。勿論、相撲を取ることもない。こうした現実と向き合った時、「ああ、本当にお相撲さんじゃなくなったんだなあ」と寂しさを感じましたね。

モンゴル人力士のパイオニアとして、40歳10ヵ月まで幕内の土俵に上がり続けてきた旭天鵬が、名古屋場所千秋楽を最後に現役を引退した。後の小結・旭鷲山ら、総勢6人のモンゴル人と来日して、大島部屋(当時)から初土俵を踏んだのが1992年春場所のこと。当初は日本での環境や相撲部屋独特の風習に馴染めず、その年の8月には相撲を辞める覚悟でモンゴルへ帰国したこともあった。師匠の大島親方の説得で、もう一度相撲に取り組むことになった旭天鵬は、同期の旭鷲山に続いて、1996年春場所で十両に昇進、1998年初場所では新入幕を果たす。2人のモンゴル人幕内力士の相撲は、母国のモンゴルでもリアルタイムでテレビ中継された。日本での活躍ぶりをテレビで見て、強い憧れを持って日本にやって来たのが、朝青龍・白鵬・日馬富士・鶴竜の横綱や、大関の照ノ富士といったモンゴル人力士たちである。多くのモンゴル人が入門してくる中で、モンゴル人力士第1期生の旭天鵬は、旭鷲山・旭天山と共に後輩たちの支柱になり続けていた。近年は、旭天鵬を「アニキ」と呼んで慕う白鵬の横綱土俵入りの露払いを務め、7月の名古屋場所で白鵬が35回目の優勝を遂げた際の優勝パレードでは、旗手としてオープンカーから沿道のファンに笑顔を振り撒いた。

「思い出に残る相撲は?」と聞かれると、沢山あるんですが、最近の相撲だと、やはり2012年夏場所千秋楽、栃煌山との優勝決定戦の一番ということになりますね。あの時は、本当に感動しました。2011年3月に東日本大震災が起こり、八百長問題等の余波で春場所は中止。5月の夏場所は、“技量審査場所”という特殊な場所になりました。そして、迎えた7月の名古屋場所で、僕は僅か2勝しか挙げられなかったのです。「引退の潮時なのかもしれない…」。悩み抜いた僕は親しい人たちに、「もう相撲を辞めたいと思うんだけど、いいかな?」と相談してみたのですが、誰も「OK」とは言ってくれなかったんです。“勝てない”というジレンマに加えて、師匠の大島親方が翌年4月に定年退職するという事情も重なっていました。その際、大島部屋の後継者として名前が挙がっていたのが僕だったからです。現役続行か、引退か――揺れ動く気持ちの中で僕を勇気づけてくれたのが、名古屋場所後の8月に生まれた長男・蓮の存在でした。「この子に相撲を取っている姿を見せたい! 大きくなるまで相撲を取りたい!」。そう強く思うことで、僕の心はリセットされました。そして翌年4月、大島部屋の閉鎖に伴い、僕を含めた力士たちが友綱部屋に所属することとなりました。元々、友綱部屋に所属していた力士に、僕たち旧大島部屋の力士が加わって20人近くとなって、稽古場は活気付いています。僕には決意がありました。「転属したこの場所、新旧の師匠の為にも無様な成績を残せない」ということです。だから、旧大島部屋からの弟弟子の旭秀鵬・旭日松と「絶対、勝ち越そう!」と誓い合ったのでした。

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<画像5枚> 今年大ブレイクした4番バッター・『侍ジャパン』の主力が…千葉ロッテの清田育宏の不倫相手が「妊娠・中絶させられた」悲痛告白!

Ikuhiro Kiyota 01
清田がAさんに送った自身の写真。裸の画像や動画が送られてきたこともあった。

「彼はセックスをする時に避妊してくれたことはありませんでした。私が妊娠していることがわかったのは、8月中旬のこと。妊娠3ヵ月でした。彼も最初は喜んでくれていたんです。彼は、『子供の名前は瑠偉とか太陽なんてどうかな?』と言っていました」。そう語るのは、『千葉ロッテマリーンズ』の外野手・清田育宏(29)と不倫関係にあったというAさん。20代前半で、モデル等芸能活動をしている菜々緒(26)似の美女だ。Aさんの悲痛な告白を聞く前に、先ずは清田の紹介をしておこう。クライマックスシリーズ(CS)進出を決めたロッテ。その大きな原動力となったのが清田だ。東洋大学・NTT東日本を経て、2009年にドラフト4位でロッテに入団。昨季まではパッとしなかったが、今季は開幕直後にスタメンに定着。23試合連続安打等打撃が好調で、一時、打率はパ・リーグのトップに。7月からは4番に座ることもあり、チームを牽引してきた。今季の成績は、リーグ4位の打率3割1分7厘を始め、15本塁打・67打点。侍ジャパンの候補にも選出されており、主力級の活躍は間違いないだろう。実は、清田の大ブレイクの要因の1つがAさんの存在だった。彼女が明かす。「清田さんと知り合ったのは今年4月。ロッテに私の学生時代の同級生が選手として在籍していて、彼に紹介されました。私は関西に住んでいるので、最初は“LINE”等で連絡を取り合っていました。すると、直ぐ次の週に清田さんが遠征で関西にやって来たんです。その時に初めて会って、食事に行きました。2回めに会った時に『付き合ってほしい』と彼から告白されたんです。既婚者だということは知りませんでした」

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【真央が帰ってくる】(下) トリプルアクセル、譲れない

浅田真央のコーチ・佐藤信夫の拠点である『新横浜スケートセンター』は、早朝から約20人の選手でごった返す。約10年前、浅田の登場で湧き起こったフィギュアブームで選手数は膨れ上がったが、リンク数は増えていない。新横浜のリンクは最近、冬タイヤの試乗会にも貸し出されるようになった。滑るのは1日最大でも3時間弱。浅田が佐藤を占有できる時間となると、15分程度に過ぎない。浅田の拠点である『中京大学アイスアリーナ』も他の選手と共有だ。ソチ五輪前のように貸し切ることはできなくなった。「これからは思うように音楽はかからないし、やり難いと思うよ」。競技復帰への覚悟を確認するかのように佐藤が伝えると、「いい勉強をしています」と浅田は答えた。大人になった浅田の変化を、佐藤が最も感じるのは氷上だ。技術は上がり、佐藤の教えの理屈をしっかり理解して滑っている。おかげで、これまでぶつ切りだった要素が繋がりを見せる。「“旨味”ですよね。ベテランだから出せる味が出てきた」。経験が骨肉となっているのを浅田も感じている。「(以前は)大人っぽく見せたくてアップアップしていたけれど、(今は)何かを(無理に)作ろうというのがない」。自然に滑るだけで高い演技構成点が出そうだ。だから、トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)のことを聞かれると、言葉を濁す。「もうベテラン。ジャンプの技術も大切だけれど、大人の滑り・自分の滑りを見てもらいたい」

フィギュアは端で見るのと違い、体力勝負だ。戦後70年、男女を通じて28歳を超えたシングルの五輪メダリストはいない。「今は考えていない」という2018年平昌冬季オリンピックを目指せば、27歳になる浅田。流石に丸くなってきたのか? 「そういうことにしましょうか?」と佐藤は苦笑する。余計なことを口にしない大人の処世術を身につけただけらしい。「トリプルアクセル、頑張ってますよ。やるなと言ってもやるでしょう。やらせなかったら気持ちが萎む」。練習では1日10本は跳んでいる。ジャンプの難度を落としても十分戦えることは、佐藤が一番わかっている。それでも諦めないのが浅田であり、だから今の浅田があることも。「僕も諦めない人間。だから、今日までやってられるんでしょうね」。今年で73歳と25歳。飽くなき2人の挑戦は続く。 《敬称略》

               ◇

原真子が担当しました。


≡日本経済新聞 2015年9月24日付掲載≡


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