【震災5年・原発事故のあと】(05) 森林再生へ新たな闘い

20160427 13
福島第1原子力発電所から西に約15~30kmの福島県田村市都路地区。市街地から離れた緩やかな斜面に、戦前に植林されてきたというコナラやクヌギ等が整然と並ぶ。しかし、林業者の姿が見えない。「これほど見事な広葉樹林は他に無い。5年間手つかずなのが悔しい」。『ふくしま中央森林組合』の吉田昭一参事(60)は無念そうだ。全国4位の森林面積を持つ福島県で、同地区はシイタケ栽培用の原木を年間20万本作る特産地だった。ところが、原発事故で森林が汚染され、出荷が止まった。原木には、牛乳と同じ“1kg当たり50Bq”の厳しい安全基準が適用されている。シイタケに濃縮される可能性がある為だ。今は安いパルプ材としてしか木を出荷できない。同組合は、新年度から段階的に伐採を行い、汚染されていない新たな芽が切り株から育つのを待つ計画を立てている。原本として出荷できるのは樹齢約20年。産地の再生に向け、長い闘いが始まる。『日本原子力研究開発機構』の斎藤公明特任参与(63)らが原発80km圏の道路周辺で放射線量を調べたところ、事故後4年余りで2割まで減った。降り積もっていた放射性セシウムが、除染・車の通行・風雨等によって取り除かれたものと見られる。一方、同県内の森林は線量が4割までしか減らなかった。幹から雨で流されたり、落ち葉に付着したりしたセシウムは、土壌の表層部分に吸着されていく。『森林総合研究所』の三浦覚チーム長(56)は、「森林土壌には、冷戦時代の大気圏核実験によるセシウムも半世紀に亘り残っていた。今回の事故の分も、長く流出せずに留まるだろう」と見る。

森林に長く残る汚染は、火災で拡散するリスクを孕む。事故から30年が経つチェルノブイリ原発周辺では昨年、森林火災が相次ぎ、大気中のセシウム濃度が一部地域で基準値を上回ったと発表された。筑波大学の恩田裕一教授(53)は、「日本の森林は湿気が多く、深刻な山火事は少ないが、万が一に備えたリスク評価と防火対策は必要だ」と指摘する。広大な森林を全て除染するのは現実的でない。落ち葉等の堆積物や表土を取り除くと、樹木の成長に悪影響が出たり、土砂が流出したりする懸念がある。この為、環境省の検討会は昨年末、「人が立ち入らない森は除染しない」という方針を纏めた。ところが、福島県等が「山に囲まれた住民は不安を感じている。放置せず、線量低減の調査研究を続けてほしい」と再考を求めた。これを受け、政府は除染範囲の拡大等を再検討している。伐採による木々の若返りは、長期的な線量低減に繋がる。田村市は今月、チップ化した木材を燃料とするバイオマス発電設備の計画を打ち出した。また林野庁は、森林内で除染や伐採等の作業が今後増えるのに備え、作業員の被曝対策を研究。例えば、操作室のある重機で作業すると、被曝線量が35~40%減ることを実証試験で確かめた。同県の林業被害の実態等を調査してきた山形大学の早尻正宏准教授(36)は、「汚染されていない樹木を増やしながら、木材の利用拡大も進めれば、林業・地元社会の復興に繋がる」と強調する。放射線と向き合いながら、どう前進するか。日本の知恵が問われている。 =おわり


≡読売新聞 2016年2月28日付掲載≡




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福島へ出稼ぎに行ったデリヘル嬢が見た震災5年――“3.11バブル”が弾けて淘汰が進む風俗業界、それでも女の子たちが「福島で働きたい」と口を揃える理由

東日本大震災直後、復興需要に沸いた福島県いわき市では、“風俗バブル”が発生していた。「日本で一番稼げる」と言われ、この地へ足を運んだ風俗嬢たちは、そこで何を見たのか? 3.11直後と今の福島を知る2人の“出稼ぎデリヘル嬢”に話を聞いた。 (取材・文/フリーライター 九界猛)

20160426 09
「インターネット上の求人に『3日で21万稼げます』と書いてあったんです」――。ユキさん(仮名・42)がいわき市内のデリヘルで働き始めたのは2011年8月のこと。「店の人に連絡して、初めて勤務地が福島だと知りました。原発事故の影響も聞いたんですけど、『大丈夫』と。実際に行ってみても、被害の深刻さは感じられませんでしたね。スーパーやコンビニも普通にやっていたし。多い時だと週1回は行っていました」。彼女が働いたデリヘルのオーナーは、いわき市から上京したスカウトマンだった。「震災後、彼は東京で働いている女の子を何人か引き連れ、いわき市内で新規店をオープンしました。当時、このエリアのデリヘルは、ホームページで顔出しをしているのが韓デリ(韓国人デリヘル)ぐらいしかいなくて、『顔バレの心配が無い東京の子を集めたら人気が出る』と考えたようです。その狙いが当たったのか、凄く繁盛していましたね」。女の子の手取りは、60分の稼働で約1万。中には1日に10万円を稼ぐ子もいたが、それ以上に稼いでいる子はゴロゴロいたという。「いわきのデリヘル需要はかなりのもので、ラブホが満室の日も少なくありませんでした。なので、あぶれてしまったお客さんを狙って、ホテル代わりにキャンピングカーを使ったお店ができた。お客さんが払うサービス代は60分5万円ほど。女の子には1回につき3万円バックで、一晩で5人は付くとのこと。『滅茶苦茶稼げる!』。この話を知り合いから聞いて、私は直ぐ応募。既に定員はオーバーしていましたが、補欠として合格しました。そして、自分の番が来るのをずっと待ちましたが…最後までお呼びはかかりませんでしたね。待遇が良過ぎて、欠員が出なかったみたいです」。

バブルに沸くいわきの風俗。どんな客が多かったのか。「現地に行くまでは、他県から来た復興作業員ばかりかと思っていましたが、私のお客さんは地元民が多かったですね。勿論、その中には被災者の方もいました」。ユキさんには、忘れられない被災者の客がいる。「40代ぐらいの、如何にも普通なおじさんが、プレイが終わって服を着る時にポロッと、『俺、津波で家族や親戚をいっペんに亡くしちゃったんだよね』と漏らしたんです。聞くと、東京に単身赴任していたらしいですが、奥さん・子供・両親・親戚は皆、福島にいて。一族全員が津波で流されてしまったと。喪主として、10人近くの葬式を1人で手配したそうです。『天涯孤独になっちゃった』と表情を失った顔で話していました。私は、『何てお声がけしていいかわかりません』って正直に言いました。若しそれを最初に聞いていたら、プレイできなかったでしょうね。こっちは『復興需要で儲かる』と思って来ている身じゃないですか。何か居た堪れなくて…」。ユキさんは結局、いわきで3年間働いた。「2013年ぐらいからかな。店はかなり暇になっていました。インターネットで店の評判を見たら、『パネマジ多過ぎ』みたいな意見が並んでいた(苦笑)。私は、いつも本指名してくれる客が何人かいたので稼げたんですけど、『もう、この店はダメだな』と思いましたね。私が辞めて半年後、店は潰れました」。出稼ぎを辞めてから約3年経つが、ユキさんは「いわきでまた働きたい」と話す。「ここのお客さんって“スレていない”んです。普通のサービス、例えばお客さんの靴を揃えるだけでも、『こんなことしてくれるの?』って感動してくれる。お客さんの8割ぐらいがリピートしてくれました。ただ最近は、いわきに新規デリが乱立して、若い女の子が優先して採用されるようになった。私の年齢だと、中々難しいんですよね」。

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【震災5年・原発事故のあと】(04) 中間貯蔵、用地確保は1%

20160425 07
水田が広がる福島県南相馬市の馬場地区。2月24日朝、フェンスで囲まれた約12haの“仮置き場”から、原発事故に伴う除染で生じた汚染土を積んだトラックが次々と出てきた。向かう先は、同市内の別の仮置き場だ。「根本的な解決にはならないが、いつまでもここに汚染土を置いておけない」。馬場地区の区長を務める酒井茂さん(67)はそう話す。仮置き場は、国や市町村が民有地を借りるなどして、県内約1200ヵ所に設けられている。環境省は2011年10月、同県全域で発生する汚染土を集中管理する中間貯蔵施設を建設するとして、「仮置き場での保管は3年」と表明。これを受けて、賃貸借契約の多くは3年間と定められた。ところが、肝心の中間貯蔵施設の整備が進まない。同省は2月19日、主要設備を今秋着工すると発表したが、2000人以上いる地権者との交渉は難航していて、確保できた用地面積は全体計画の約1%。仮置き場には計約824万㎥の汚染土が積み上げられているのに、施設に搬入できたのは試験輸送の約4万㎥だけで、交渉の停滞が続けば、最大約2200万㎥が発生すると想定される汚染土を全て収容するのは困難とみられる。馬場地区の仮置き場は3年の契約期限を3月に控え、水田の整備事業が計画されていることから、市は使用継続を断念。仮置き場では初のケースとして、昨年末から汚染土の移動を開始した。酒井さんは、「汚染土が無くなることで、原発事故後に避難した住民が戻ってくれば」と願う。ただ、移動先の周辺住民の説得は簡単ではなかった。市の担当者は、「このままでは、使用を継続できない仮置き場が続出しかねない」と懸念する。

“汚染ごみ”も、行き場を失っている。同省は汚染土とは別に、放射性物質濃度が1kg当たり8000Bqを超えるごみ計17万トンを“指定廃棄物”と位置付け、福島・宮城・茨城・栃木・群馬・千葉の6県に長期保管の為の処分場を設けると決めた。指定されたのは稲藁や牧草が多い。しかし、福島以外の5県では施設整備の目途が立たない。候補地を示した宮城・栃木・千葉で「人が住めなくなる」と地元が反発し、茨城と群馬では候補地の提示すらできていない為だ。2月4日、同省は打開策を打ち出した。時間の経過で8000Bq以下になった廃棄物は指定を解除する方針を表明。同省幹部は、「指定廃棄物の量を減らし、施設容認へのハードルを下げたい」と狙いを語る。指定から外れれば、法律上は通常のごみとして処理できる。だが、その処理でさえ国の思惑通りに進むかは不透明だ。原発事故で全住民が避難した福島県浪江町の牧場。昨年11月、約60km離れた宮城県白石市から、同市内の畜産農家で出た8000Bq以下の汚染牧草約260トンが運ばれてきた。この牧草は、同市が使用する焼却施設がある周辺自治体では受け入れが認められなかった。一方、汚染で売り物にならない牛を「可哀想だ」として放牧し続けている同牧場は、「餌に使いたい」と提案。浪江町の馬場有町長は「住民の帰還意欲を削ぐ」と福島への“押し付け”に抗議したが、同市は牧場の提案に応じた。廃棄物行政に詳しい岡山大学の田中勝名誉教授は、「濃度が基準を下回れば既存の処理場で安全に処理できることを、国は丁寧に説明すべきだ。行き詰まり状態が更に続けば、押し付けに拍車がかかる恐れもある」と指摘した。


≡読売新聞 2016年2月27日付掲載≡

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【震災5年・原発事故のあと】(03) 子供の被曝、母親ら支援の動き

20160420 05
福島第1原子力発電所事故による放射線の健康影響について、国連科学委員会は2013年の報告書で「(大半の癌は)増加は見られない」との見解を示した。ただ、子供の甲状腺癌だけは「確固たる結論を導くには情報が十分でない」と指摘した。福島県は2月15日、事故当時18歳以下の県民38万人を対象とした甲状腺検査で、昨年までに167人が“癌”か“癌の疑い”と診断されたと発表した。医師らで作る県の検討委員会は、「現時点では放射線の影響とは考え難い」と結論付けた。放射線に敏感と考えられる幼児の患者が少ないこと等が根拠とされた。過去の統計から推定される発症率の数十倍という患者数で、症状の無い人まで広く検査した為、通常は見つからない“死に結び付かない癌”等を多数見つけた可能性が指摘されている。しかし、見つかった癌が“死に結び付かない”かどうかは、現在の医学では見分けられず、基本的には手術して傷や後遺症が残る。「放射線の影響かどうか、今は結論を出せないが、事故が無ければしなかった筈の検査や手術で、心身に大きな負担をかけている」と、『放射線医学総合研究所』(千葉市)の明石真言理事(61)は言う。「私たちは何故、検査の度に不安にならねばならないのか」。3人の息子を持つ相馬市の女性(38)は語る。2人の息子の甲状腺に“嚢胞”(液体が溜まった袋)があると診断された。周囲の母親や専門家に相談して「癌と関係ない」と知り、今は気にしないようにしているという。

原発事故では放射性ヨウ素が飛散し、甲状腺癌の原因となる。食物汚染が野放しだったチェルノブイリ原発事故に比べ、福島の住民の被曝量は少ないと見られるが、放射性ヨウ素は短期間で消える為、福島では混乱の中、1000人余りしか測定されなかった。データが乏しいことから、県は被曝による癌の増加を完全には否定できず、検査を続ける方針だ。検査を受けた人は、1巡目(2011~2013年度)に比べ、2巡目(2014・2015年度)は減少している。「『受けない』という判断もあっていい」と、福島県立医科大学の緑川早苗准教授(47・放射線健康管理)は言う。しかし、その判断は親や本人にとって難しい。気軽に相談できる専門家が不可欠だ。同大学は、母親ら10~20人の集まりに専門医を派遣する勉強会を数多く開いている。非営利組織『ビーンズふくしま』が県内で開く『ままカフェ』には、仲間や情報を求める母親らが集う。運営に携わる松村美保子さん(47)は、「親が不安を感じるのは当たり前。それを否定せず、受け止めるのが大事」と語る。親の不安に寄り添う地道な活動が重要性を増している。被曝と健康についてのきめ細かな情報は、高齢者向けにも重要だ。被曝を恐れて外出を控えたり、不自由な避難生活が長引いたりして、肥満や飲酒といった癌のリスクを高める要因が増えている。南相馬市では、脳卒中による入院患者の発生率が2~3倍に上がったという。相馬中央病院内科診療科の越智小枝科長(41)は、「放射能ばかり気にせず、様々な健康リスクを総合的に捉える必要がある」と話している。


≡読売新聞 2016年2月25日付掲載≡




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【震災5年・原発事故のあと】(02) 運転延長、選別の時迫る

20160419 16
稼働に向け、16原発26基の安全審査が申請された原子力規制委真会。2月18日、関西電力高浜原子力発電所1・2号機(福井県)の“合格”に目途がついたが、関電幹部は「ヤマ場はこれから」と語る。運転期間が40年を超えた2基は、先に合格した5基と違い、深刻な劣化が無いことを確認する別の手続きが、あと4ヵ月余で終わらないと廃炉に追い込まれるのだ。福島第1原発事故後の法改正で、原発の運転期間が原則40年に制限され、延長するには多額の費用がかかる“特別点検”が必要になった。各社は延長か廃炉か、経済性の面から選別を迫られる。関電は昨年、出力50万kW以下の2基の廃炉を決める一方、82.6万kWの3基の延長を申請した。この内、高浜の2基は、今年7月7日が手続きの期限と定められている。政府は昨年、2030年度の電源構成の目標となる『エネルギーミックス』を策定。全発電量に占める原発の割合を“20~22%”とした。現時点で原発の新増設は想定していない。しかし、既存原発43基のうち25基が、2030年度までに40年を超え、選別に晒される。事故の影響は海外にも及んだ。ドイツ南部にある人口約3500人の町・グラーフェンラインフェルトでは昨年6月、「唯一の産業」(ザビーネ・ルッツ町長)だった原発が停止した。1981年から運転され、稼働中の原発では国内最古だった。メルケル政権は事故後、2022年までの原発全廃を決定。5年前に17基あった原発が次々と止まり、今は残り8基となった。日本から原発2基の輸入を決めていたベトナムは、津波対策等の再検討の為、着工を延期した。ただ、『日本エネルギー経済研究所』の小山堅常務理事は、「どの国も、経済性・安定供給・地球温暖化を総合的に考え、多様な電源を選ぶ。安全性は当然最重要だが、それだけではない」と語る。事実、多くの主要国の原発政策は事故後、大きな変化が無い。イギリス政府は原発維持の方針を表明。5ヵ所以上で新設計画が進む。日本では、福島事故を教訓に安全規制が厳格化され、電力各社は、重大事故に備えた対策等に計3兆円以上を費やした。4月に電力小売りが全面自由化され、競争が激化すれば、原発を抱える各社の経営環境は厳しさを増す。経済産業省幹部は「老朽原発の半分程度が運転延長すれば、20%の目標達成は可能」と見込むが、東京理科大学の橘川武郎教授(エネルギー産業論)は「原発を継続するならば、古い原発を畳んで最新鋭のものに変えることを議論しないのは無責任だ」と指摘している。 (ベルリン支局 井口馨・経済部 山岸肇)


≡読売新聞 2016年2月24日付掲載≡




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【震災5年・原発事故のあと】(01) 廃炉工程、前例なき40年

東京電力福島第1原子力発電所の事故から、間もなく5年が経つ。今も残る未曽有の事故の影響を追った。

20160411 08
福島第1原発では、約79万トンの汚染水が約1000基のタンクに保管されている。2月2日、その1つを解体する作業が行われていた。事故後に急造した組み立て式タンクだ。「戦場で火の粉を払うように、急場凌ぎの対策を打たねばならなかった」(『東京電力』の増田尚宏常務執行役)という5年間の象徴だった。東電は、密閉性が高く漏水し難い溶接式タンクへと順次置き換え、本格的な廃炉作業の段階へ進もうとしている。政府と東電が目標とする廃炉工程は最長40年。事故が起きた1~4号機のうち、放射線量が低い4号機の貯蔵プールからの核燃料取り出しは、2014年末に完了した。次は2017年度から、3号機のプールの燃料取り出しに入る。しかし、原子炉内の燃料が溶け落ちた3号機は、建屋内の線量が高く、作業員が長時間いられない。東電は、遠隔操作でプールの燃料を取り出す装置を『東芝』と開発した。装置には、目の役割を果たす計22台のカメラが取り付けられている。作業員は、原子炉建屋から約1km離れた別棟で、その映像を見ながら操作する。「燃料を落として破損させることは、絶対にできない」。東芝の関口晃一グループ長(46)は、作業員の訓練を緊張した面持ちで見つめる。最大の難題は、1~3号機の炉内で溶け落ちた燃料の回収だ。どこに落ちたのかも不明で、前例の無い技術開発が必要となる。政府は福島に国際研究拠点を設ける等、国内外の知見を結集する体制を漸く整えつつある。廃炉に向けては、技術開発以外にも課題が山積する。汚染水を抑制する“凍土壁”の工事では、掘削中に地中の電源ケーブルを誤って切断するトラブルが続発した。昨年8月に計画した2号機の内部調査も、ロボットの投入口を遮っていたブロック壁の構造がわからず、その除去が難航。調査は延期された。1960年代に建設が始まった同原発は、設計図面が残っていない設備等もあり、何れも情報を十分把握できずに作業を進めたのが原因だった。廃炉には、これまでに2000億円超の国費が投入された。東電は、廃炉完了までの費用として約1兆円を準備し、1兆円の積み増しを予定している。トラブル等で費用が膨らみ続ければ、税金や電気料金を通じて国民に負担を強いることにもなりかねない。『日本原子力学会』廃炉検討委員会委員長で法政大学の宮野広客員教授(67)は、「長期に及ぶ廃炉には、常にリスクが潜んでいる。漸く本格的なスタートの段階で、様々な困難が待ち受けているのはこれからだ」と話す。

20160411 09
東日本大震災に伴う事故から約5年が経った福島第1原発において、原子炉や貯蔵プールの核燃料は比較的安定した状態を保っている。しかし、汚染水対策等の試練は続き、廃炉への道程は未だ遠い。2011年3月の事故では、原子炉の冷却に必要な電源を地震と津波で失い、運転中だった1~3号機の原子炉で核燃料(炉心)が溶融した。燃料と水の反応で水素が大量発生し、1号機と3号機、更に配管から3号機の水素が流入した4号機で建屋が爆発した。1~3号機では、溶けた核燃料が様々な物質と混じって冷え固まった“デブリ”が今も発熱している。冷却水が注入され、原子炉は10~40℃台で安定しているが、冷却水は壊れた原子炉から外に漏出。建屋に流入する地下水等と合わさり、1日約550トンの高濃度汚染水が発生している。一時は36万トン以上の高濃度汚染水が敷地内のタンクに溜まっていたが、浄化装置『ALPS』等による処理が進展。今は、タンク内の水の多くが浄化済みで、海等へ流出した場合のリスクは大幅に下がった。ただ、全ての放射性物質を除去することは技術的に難しく、現在は海へ放出できない。保管量は増える一方だ。一方、建屋内の核燃料貯蔵プールには、1~3号機で計1573本の核燃料があるが、冷却システムが安定して稼働し、最近は水温の異常な変化は無い。4号機は、プールにあった燃料1535本の取り出しが2014年12月に完了した。廃炉は、燃料を全て回収し、最終的には建屋を解体して更地にするのが目標だ。政府と東電は、2020年度までに1~3号機のプールの核燃料取り出しを始め、2021年からデブリの回収に入る計画。この5年間、様々なトラブルで何度も工程が見直されてきただけに、今後も計画通り進むかどうかは予断を許さない。1~3号機が中心となる今後の廃炉作業は、放射線量との闘いだ。作業員の被曝を少しでも減らしながら、過酷な現場での作業を確実に進める必要がある。当初は、放射性物質の吸入を防ぐ全面マスク等の重装備が敷地内の大半で必要で、作業員の負担が重かったが、東電はここ数年、除染と舗装を推進。現在は、90%の区域で全面マスクが不要になった。東電で作業環境の改善を担当する山中和夫部長(51)は、「軽い装備で行動できる場所を更に広げていきたい」と話す。廃炉に向けた最難関はデブリの回収だが、線量が極めて高い格納容器内等の作業はロボットが頼りだ。東電はメーカー等と協力して、容器内を調査するロボットを開発しているが、現在は10時間ほどしか活動できない。強い放射線が当たると、カメラや電子回路の半導体等が壊れてしまうからだ。放射線に強い機器の開発が急がれる。格納容器のロボット調査は、先ず1号機で昨年4月に行われたが、デブリは撮影できなかった。デブリを回収する技術の開発は、未だ緒に就いたばかりだ。 (科学部 野依英治)

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【震災5年・あの時】(07) 「帰れない」新宿駅大混乱

20160323 05

「ドアを開けろ!」――。2011年3月11日午後2時46分の地震直後、『京王電鉄』の新宿駅長だった山崎信重さん(60)は、事務室で激しい揺れを感じると、部下にすかさず叫んだ。駅員が閉じ込められる訳にはいかない。改札前の通路に出ると、お年寄りらが柱や壁の傍でしゃがみ込んでいる。「過去に経験した地震とは全く違う」と直感した。3時過ぎ、運転指令から連絡が入った。「駅の手前で1本止まっている」。通常、同社では地震でも最寄りの駅まで走らせるが、ホームの先400mのトンネル内で約350人を乗せた電車が立ち往生していた。乗客の誘導を指示された駅員が飛び出した。JR・私鉄・地下鉄が迷路のように重なり合い、1日で横浜市の人口に匹敵する約350万人が乗降する新宿駅。金曜多方のラッシュ時間を前に全路線が停止し、“滞留者”が空前の規模に膨れ上がり始めた。

20160323 06

①14:46 停止
余震が続いていた。京王電鉄の新宿駅近くのトンネルで停止した電車に、同社営業主任の小林雅樹さん(48)は辿り着いた。避難誘導を急がなければならない。先頭車両の避難用ドアを開け、7人掛けの椅子のクッションを外してスロープにした。「これが無いと危ない」。線路に沿って発光スティックを並べた。コンサート等で使われる製品だが、いざという時の為に事務室に置いていた。黄色く光る筋に沿って乗客を誘導。全員が無事、改札の外に出た。だが、安堵も束の間だった。改札の外側で運行再開を待つ人混みは見る間に膨れ上がり、小林さんらはお年寄りらが床に座れるよう、毛布等を運ぶ作業に追われた。京王と同じ新宿駅西口にある『小田急電鉄』の改札前でも人が増え続けた。「JRがシャッターを閉めた」。小田急で対応を指揮した副駅長の杉村勝人さん(58)は、同僚の言葉を聞いて嫌な予感がした。「人が全部、うちに来てしまう」。

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福島の健康問題は放射線より糖尿病だ!――マスコミはデータと医療知識を冷静に報道せよ

20160319 09
東日本大震災及び東京電力福島第1原発事故から5年になろうとする今、住民の健康に影響を与えているのは、医学的には結局のところ放射線ではない。放射線ではないというのは、「原発事故や放射性物質は関係がない」という意味では決してない。「放射線が細胞に当たり、DNAを損傷する。空間線量が何μSvあり、汚染物質が何Bqある」といったことが問題なのではなく、「家族がバラバラになり、仕事や付き合う人間が変わってしまった。生活スタイルも変化し、未来への希望が描き辛くなった。高齢化も物凄く進んでしまった」等という生活環境の変化や、生活再建に関わる問題が主体であるという意味である。現場の問題は既に原発被災地だけの特殊なものではなく、日本の所謂“田舎”に普遍的に起こっている問題に近い。しかし、いきなり「放射線ではない」と言われても、中々納得できない読者も少なくないと思う。先ずは、現状及び震災直後の放射線検査結果について詳しく見てみよう。

我々は、環境中に存在する放射線から常に被曝しながら生活をしている。具体的には、宇宙と大地から発せられる放射線を浴び(外部被曝)、空気と食べ物に含まれる放射性物質を取り込むことに依る被曝(内部被曝)をしている。環境中の放射線からも常に被曝している為、放射線被曝に依る身体への影響は、被曝があるか無いかのゼロかイチかの議論ではない。被曝“量”――原発事故に依ってどの程度被曝量が増えたかに依って決定される。現在でも、外部被曝及び内部被曝の検査やモニタリングは継続して行われている。特に内部被曝に関しては、その封じ込めに殆ど成功していると言っていいだろう。事故後長期間、汚染食品の管理不足に依って住民に慢性的な内部被曝を強いたチェルノブイリとは圧倒的に状況が異なる。昨年、南相馬市立総合病院・ときわ会いわき泌尿器科・ひらた中央病院(平田村)の3病院で実施された乳幼児専用ホールボディーカウンター検査(通称『Babyscan』)結果が公表された。約2700人の小児・乳幼児を対象として体内のセシウムの計測が行われたが、誰からも検出されなかった。同様に、南相馬市では99%の小中学生に継続して内部被曝検査を行っているが、こちらも検出することは先ず無い。1000万袋を超える新米が検査されたが、2014年度に基準値を超えたものは流通米では1つも無かった。内部被曝は空気からではなく、汚染食品の摂取に依って引き起こされるが、食品の汚染はいくらかの特定の汚染され易い食品に選択的に起こるものであり、「福島県産だから」という理由で汚染されるという状況では既にない。汚染が起こったことは事実である。今も学校給食に地元産の食材を使用できない自治体も多くあるし、学校給食を忌避し、自分の子供にだけ弁当を持たせる親御さんもいらっしゃる。南相馬市では、乳幼児を持つ親御さんの半数以上は「子供にはミネラルウォーターしか飲まさない。福島県産を食べるのを忌避する」と答えるのも現状である。気持ちはわかる。しかし、我々の体内を検査すれば元々、自然の放射性物質であるカリウムが数千Bq存在する中で、殆ど検出されないセシウムを含む原発事故に依る他の放射性物質に健康影響を医学的に説明するのは不可能だろう。因みに、「放射性物質はゼロではない」と批判する人もいるし、セシウム以外の放射性物質の影響を指摘する人もいる。しかし、機械の精度は既に十分に細かいレベル(Svで言うなら年間約0.01mSv、胸のレントゲン写真1枚の数分の1以下)まで計測することができるし、福島第1原発事故の爆発の特徴から、住民に及ぼす影響の殆どはセシウムに依るものであることがわかっている。

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被災地自立へ立ち上がる“敗軍の将”と“新人類”――“自治体消滅”は若者が阻止する、回復不可能な惨状からの復活

東日本大震災から5年を迎え、復興予算が今年度で期限を迎える被災地。愈々“自立”を求められるものの、凡そ楽観できる状況にはない。だが、復興の最前線では新たな主役も生まれつつある。会社を潰した元経営者たちと、「頼りない」と言われてきた若い世代だ。時には“負け組”と呼ばれた者たちが、現地のムードを変え始めた。 (鵜飼秀徳)

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先ずは上・左のグラフを見てほしい。福島県を取り巻く諸データである。福島第1原子力発電所の事故直後は生産活動が停滞した福島だが、県内総生産や有効求人倍率を見る限り、急速に立ち直っているかに映る。だが、この数字を以て「福島が自立した」と位置付けるのは早計。国の計画に基づいた“復興需要”に依る効果が大きいからだ。現在、福島の産業の柱は、除染や復興に伴う建設及び製造業というのが実情となっている。最もネガティブな要素は、人が福島に戻らないことだ。定住人口の減少傾向は続き、観光客入り込み数を見ても“福島離れ”が進行してきたことは明らか。福島の前には、大きな壁が立ち塞がっている。“復興”の次のステージは“自立”。それには、人と企業を呼び戻す必要がある。こうしたことから被災地では今、ある型破りな構想が始まっている。

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「しくじった人たち(倒産経験者)に投資します。条件は福島で起業すること」――。こんな投資ファンドが話題を呼んでいる。考案したのは、宮城県仙台市のベンチャーキャピタル『MAKOTO』の代表理事・竹井智宏氏だ。『福活(ふっかつ)ファンド』と名付けた、この一風変わった投資ファンドは、対象企業に『福島銀行』と共同で出資する。資金のみならず、MAKOTOは投資先に“ハンズオン支援”も実施。事業開始後は各企業に対し、きめ細かな経営面でのアドバイスを送る。横浜市で現在、タクシーの運転手をしている荒井潤一氏は、福活ファンドに応募した1人だ。現在、最終選考段階にあり、今月中にも投資が受けられるか否かが決定する。荒井氏は、従業員10人を抱える会社を起業したものの倒産させ、以来、失意の中で「失敗したまま人生を終わらせていいのか?」という思いを抱えながら、59歳まで生きてきた。横浜市に3D技術を使ったソフト開発会社を立ち上げたのは2001年。自動車や家電を試作する時のデザインを、パソコン上でシミュレーションできるという独自の技術だった。が、売り上げが思うように伸びず、2009年に約1億5000万円の負債を抱えて倒産してしまう。「会社清算後暫くは何もする気が起きず、食い繋ぐ為にプロバイダーの訪問営業をやった。それも長くは続かず、近所のタクシー会社に就職して運転手になった」。荒井氏は、こう振り返る。それでも30年近く経営の世界で生きてきた自負や、アイデア力が失われた訳ではなかった。運転手を続けながら新たな事業構想を膨らませ、過去の技術や経験を生かした新サービスを思い付く。その名も“物撮り画像の自動切り抜きサービス”。『Amazon』等のインターネットショップでものを紹介する場合、必須なのが商品写真だ。背景の無いシンプルなカットがベストだが、写真スタジオで撮影するとなると相当なコストと時間がかかる。そこで、クラウド上で自動的に背景と商品とを切り抜ける技術を考案した。料金は1枚当たり一律50円を想定しており、インターネットショップ界では革命的なツールと言える。

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【震災5年・あの時】(06) 自衛隊「消火より救助だ」

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眼下の街が水没し、白煙が立ち込めていた。「まるで空爆後の街だ」。東日本大震災から一夜明けた2011年3月12日朝、岩手県沿岸部の上空で航空自衛隊の大型輸送ヘリ『CH47』を操縦していた浜砂洋充3佐(48)は、直には見たことがない戦場の光景を重ねた。「手を振ってる!」。乗組員が声を上げた。大槌町内のビルの屋上に、複数の人影が見える。この時の任務は、付近の山林に延焼した火災の鎮圧。だが、雪の舞う中を一晩生き抜いた人たちが、余震の津波に襲われたらどうするのか。「急を要する。消火を止めて救助を実施したい」。へッドセットに呼びかけると、青森・三沢基地の指揮所から「その通りにせよ」と指示が返ってきた。同じ頃、海自のイージス艦は福島沖に到着。陸自の各部隊は陸路で被災地入りした。自衛隊史上最大、10万人超の隊員に依る救出作戦が本格化しようとしていた。

①12日午前 航空自衛隊
航空自衛隊では、物資等を運ぶ輸送へリコプターも救出活動に加わり、水没した街で孤立した人々を運んだ。2011年3月11日、大槌町にある4階建ての植田医院は海のような濁流に囲まれた。スタッフや近所の住民ら18人が、3階を突き抜けた津波を間一髪逃れ、屋上等に取り残された。院長の植田俊郎さん(61)は、登山用のザイルを屋上のフェンスに張った。「次の津波が来たら、皆でこれに掴まるしかない」。夕方から雪になり、山火事も見えた。眠れぬまま朝を迎えると、へリの音が聞こえた。傍には80歳を超えた母親。空へ向けて赤い布を振った。空自三沢ヘリコプター空輸隊の浜砂洋充3佐(48)が、植田医院の上空でホバリングを開始したのは、午前10時20分頃だった。11日は三沢基地で現場のへリとの連絡役を務めていた為、搭乗しなかった。12日は早朝から出動し、山林火災を消す為に海水の汲み上げと投下を繰り返した。市街地の惨状に「恐ろしい…」と思わず声が出た。途中で、乗組員がビルの屋上の人影に気付いた。ただ、浜砂さんのCH47は輸送ヘリだ。空輸隊のへリが吊り上げ救助を実施したことは、震災まで前例が無かった。この日は、乗組員の機転で救助器具を積み込んでいた。吊り上げ救助の訓練も、万が一を考えて2年ほど前から始めていた。「救助を実施したい」。迷わず指揮所に伝えた。別のビル等から計43人を安全な場所に運んだ後、植田医院へ。ホバリングしながら、吊り上げを繰り返した。50人以上が搭乗できる機内に植田さんの母親ら6人を収容したところで、基地へ戻る分の燃料しかない“ビンゴフューエル”の状態となった。救助を打ち切り、三沢に戻った。植田医院の残りの避難者は、続けて到着した別の空輸隊へリが救出した。翌13日、浜砂さんは100人以上の犠牲者を出した釜石市の鵜住居地区防災センターでも救助を行った。それでも、「もっと効率的に救助できたのではないか」という思いが消えたことはない。2014年秋、センターの跡地を車で訪れ、献花台に花を手向けた。「常に不測の事態を想定した訓練が必要だ」。自分に言い聞かせ続けている。

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