【異論のススメ】(59) 資本主義の臨界点
だが、そもそも資本主義とは一体何なのか。首相の言う成長を可能とする“新しい資本主義”というものがあり得るのだろうか。資本、つまりキャピタルとは頭金である。それは“キャップ(帽子)”や“キャプテン(首長)”という類似語が暗示するように、“先導するもの”である。未知の領域を切り開き、新たな世界を生み出す先導者であり、その為に投下されるのが頭金としての資本である。資本は、未知の領域の開拓によって利益を生み出し、自らを増殖させる。したがって、さしあたり資本主義とは、何らかの経済活動への資本の投下を通じて自らを増殖させる運動ということになろう。ただ、この場合に重要なことだが、資本が利潤を上げる為には資本は一旦商品となり、その商品が売れなければならない。言い換えれば、そこに新たな市場が形成され、新たな商品を求める者がいなければならない。こうして、資本主義が成り立つ為には常に新商品が提供され、新たな市場ができ、新たな需要が生み出されなければならない。人々が絶えず新奇なものへと欲望を膨らませなければならない。端的に言えば、経済活動のフロンティアの拡大が必要となるのであり、この時に経済成長が齎される。この点で、資本主義は市場経済とは違っていることに注意しておきたい。市場経済はいくら競争条件を整備しても、それだけでは経済成長を齎さない。経済成長を生み出すものは資本主義であり、経済活動の新たなフロンティアの開拓なのである。そして、市場経済分析を中心とする通常の経済学は、基本的に“資本主義の無限拡張運動”には全く関心を払わない。その意味でいえば、岸田首相の資本主義論は興味深いもので、経済成長を強く意識していることになろう。従来、日本では構造改革にせよ、新自由主義にせよ、市場原理主義にせよ、あくまで市場経済を問題にしてきたのであり、岸田氏の資本主義論はそれとは次元を異にしているのだ。大雑把に歴史を振り返ってみよう。資本主義がヨーロッパで急激に活性化した発端には、15世紀の地理上の発見があった。一気に地球的規模で空間のフロンティアが拡張した。新大陸やアジアを包摂する新たな空間の拡張は、歴史上最初のグローバリズムであり、ヨーロッパに巨大な富を齎した。この富によって19世紀に開花するイギリスの産業革命は、驚くべき勢いで技術のフロンティアを開拓し、帝国主義時代を経て20世紀ともなると、アメリカにおいてあらゆる商品の大量生産方式へとゆきついた。そして、この大量生産を支えたものは、膨大な中間層を担う大衆の旺盛な消費であった。つまり、外へ向けた空間的フロンティアの開拓(※西部開拓のアメリカや帝国主義のヨーロッパ)の次に、20世紀の大衆の欲望フロンティアの時代がやってきた。戦後の先進国の高い経済成長を可能としたものは、技術革新や広告産業が大衆の欲望を刺激し続けることで、工業製品の大量生産・大量消費を生み出した点にある。ところが、高度な工業化による大量生産・大量消費による経済成長は、先進国では1970年代には頂点に達する。そこで、その後に出現した成長戦略は何かといえば、1980年代以降のグローバル化、金融経済への移行、それに1990年代の情報化(※IT革命)であった。先進国は、グローバル化で発展途上国に新たな市場を求め、新たな金融商品や金融取引に利潤機会を求め、ITという新技術にフロンティアを求めた。そして、その結果はどうなったのか。それらは殆ど先進国に富も利益も齎さなくなりつつある。グローバル化は中国を急成長させたが、米欧日等の先進国は、成長率の鈍化、格差の拡大、中間層の没落等に悩まされる。モノの生産から金融経済への移行は、金融市場の不安定化と資産の格差を生み出した。情報革命は一握りの情報関連企業に巨額の利益を集中させた。いわゆるGAFA問題である。明らかに新たなフロンティアは限界に達しつつある。